外国人といっしょに働くためには

 骨太の方針ってフレーズを見るたびにワタクシの頭の中では犬がおいしそうにご飯を食べはじめるんですが、それはさておきその骨太の方針によると外国人の単純労働者の受け入れが事実上解禁になるようです。日本語力や滞在期間などいろいろ条件はあれど、いままでの留学生や技能実習生よりももっとシンプルで建前のない文字通り働く外国人を受け入れるということは間違いない(例えばこの日本経済新聞の記事)。

 介護の技能実習生の話が出てきて以来、外国人労働者の日本語がポイントのひとつになっています。たしかにコミュニケーションがうまくできなければ、利用者さんの安全、スタッフ間の連携、ひいては法人の信用、企業の存続問題にだってなりかねない。

 ですから外国人労働者のみなさん、日本語の勉強がんばって!というのは分からなくもないのですが、元々年限が限られたデカセギ、学習の環境が整備されているわけでも(WEB上で学習教材は整備するようです)そのための補助金が出るわけでもないところで働きながら学んでどれほどの日本語力を獲得できるのか。中学から学んだ英語を使って、我々は英語で介護の仕事が恙なくできるでしょうか?できる気がする人、挙手!

 そこで、角度を変えてもうひとつの可能性を考えてみましょう。外国人は日本語を勉強することで日本人に近づいていこうとしていますが、日本人が外国人に近づいていくことはできないのかということです。半年、1年日本語を学び、N4、N3という日本語力の外国人は、日本人同士のナチュラルな会話はところどころしか理解できないかもしれませんが、頭の中には日本語のストックが確実にあります。いささか乱暴な言い方になりますが、分かる日本語でお話すればコミュニケーションは成立します。

 「欠席の際はご連絡のほどをよろしくお願い申し上げます」と言うと全然伝わらないけれど、「休むときは電話ください」なら分かるかもしれないのです。

 やさしい日本語は災害時の情報伝達の手段としてよく語られますが、昨今の労働者の増加からすると、外国人といっしょに働く現場の日本人にとっても有効な手段ではないかと思われます。役所も然りです。中長期日本に滞在する外国人は社会保障上は日本人と大差なく、健康保険証も持ちますし、年金も払いますし、市県民税も払いますし、出産育児一時金ももらえます。ところが、この手続きでことごとくつまずきます。これらの日本語を支障のないレベルで理解するにはどれほどの学習が必要となるでしょうか?大学まで英語を学びましたが、たぶん英語圏でワタクシは自立して生きてはいけないです。このハードルを下げる努力を払うべきときに来ているように思います。

 手段はやさしい日本語だけではありません。資料、文書の多言語化が有効な場合もありますし、個別のケースでは母語での相談、通訳対応も必要になるでしょう。ですが、全ての場面に多言語資料が用意できるわけもなく(優先度の高いものは全国で使える汎用性のある多言語資料を用意すべき)、いつも通訳者が派遣できるわけではありません。外国人といっしょに働く我々日本人はなにができるのか、そろそろ国ぐるみで向き合うべきときが来ているのではないか。そして、そういった支援をボランティアまかせ、地方自治体まかせにするのもそろそろ考え時ではないか。そんなことを思う日々です。


とーます

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このページは、MIAが2018年6月 6日 14:14に書いたブログ記事です。

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