日系人の思い

 仙台市の溌剌シルバー諸氏が学ぶ「せんだい豊齢学園」で毎年「国際理解に向けて」という講座を担当しています。かれこれ4年目かな?(去年の様子)今年は、満を持して仙台在住の日系ブラジル人Vさんと一緒に伺うことにしました。去年までは外国人ゲストをふたりお連れしていたのですが、時間が足りなくなることがよく分かったので今年はおひとりにしました。その分じっくりたっぷり語っていただけることでしょう。楽しみです。


 1908年に日本からブラジルへの移民が始まりました。当時の社会情勢を紐解いていくと、なるほどねと思います。

 ブラジルは1888年の奴隷制度廃止でコーヒー農園などで働く労働者が不足、最初はイタリアなどヨーロッパから移民を受け入れていたが奴隷的な扱いに反発して送り出しを中止、ブラジルとしては別のところから移民を呼び込む必要があった。

 一方、日本は明治に入るとハワイやアメリカ西海岸に多くの労働者を送り出していたが、米国内で人種差別、日本人移民排斥の風潮が高まり、日本政府は1900年に米国移民を制限。

 1904年の日露戦争で日本はロシアに勝利したものの賠償金が得られず、経済が混乱。農村部の貧困化が深刻となる。

 こんな風な勉強だったら、歴史も嫌いにならなかったのになと得意のひとのせい。でも、ぼくにとって社会科目はほぼ一問一答式のクイズでしかありませんでした。

 それはともかく、そういう世の中を背景にブラジルへの移民は日本国が後押しする形で送り出されました。片道の船賃を国が出してくれたようですし、国は盛んに宣伝しました。

ブラジル.jpg

 土地がとても肥えているから、作物がぐんぐん育ち、あっという間に収穫ができる。数年で財を成して帰国できるなんて喧伝や移民伝説が流布し、とにかく田舎では絶望的に食えなかったものだから、多くの日本人がブラジル、その後中南米諸国へと希望を胸に向かいました。

 実際はそんな生易しいものではなく、割り当てられた農園で奴隷のような扱いを受けたとか、日本では経験のないマラリアのような風土病に襲われたとか、借金をしてまで出国したものの財を成すどころか借金返済もままならない事態に陥った移民も多く、その結果国ぐるみの「棄民」政策だなどとも言われました。一方で、勤勉に土地を耕し、あるいは小さなお店から徐々に商売を大きくし、しっかりとブラジルに根付いた方も少なからずいらっしゃり、それがいまの日系社会を形成しています。

 講釈が冗長になりました。Vさんにはこのような流れの中にいたおひとりの日系ブラジル人としてこれまで見てきたこと、感じていらっしゃったこと、日本をどう見ているのかといった話をお聞きしたく思っています。仕事でこういうのがやれるってなかなか幸せなことです。


とーます
※借金してまでブラジルへと移民していった日本人の子孫は、1990年の入国管理法改正で定住者の在留資格を得て日本に長期滞在が可能となり、当時労働力不足にあった日本に逆移民するという歴史もあります。

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このページは、MIAが2017年6月12日 10:46に書いたブログ記事です。

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