2015年9月アーカイブ

選んでくれて、ありがとう

学校の2学期が始まってしばらく経ちますが、この前後の期間は、外国につながる子どものサポートをする人材紹介の依頼が次々に寄せられ、少々慌てました。

MIAの「外国籍の子どもサポーター」登録者だけでは対応しきれず、別の事業でお付き合いのあった人に何度も電話・メールして連絡をとったり、他の日本語教室の方に紹介してもらったりと、MIAのネットワークをフルに活用して、なんとか全て紹介することができました。

紹介したなかのお一人は、MIA日本語講座受講生のMさんです。

初級クラスでまだ勉強中だったMさんは、最初は「ちょっと難しい」ということで、いったんこの話はなくなりそうになりました。MIA内でも「まだ早いのでは」という声もありました。

確かに、授業の内容をしっかり通訳することまでは出来ないかもしれませんが、基本的な日本語を教えたり、母語で話を聞いてあげてその子の不安を和らげたり、というお手伝いなら十分にできるはず。

日本語講座の先生方からも
「Mさんなら大丈夫!」
「気持ちの優しいMさんにぴったり」
と後押しする声をいただいていました。

なので、もう一度Mさんに声をかけ、あらためてサポート対象生徒の置かれた状況や、どんなサポートをお願いしたいか、ということを説明し、
「私でできることだったら」
とOKの返事をいだくことができました。

(良かった!)

サポート体制が整う目途がついて、そして、ちょっとおこがましいですが、Mさんにその力を発揮してもらうきっかけを作ることが出来て、良かった。

説明を終えると、Mさんが最後に笑顔で一言。
「私を選んでくれてありがとう」

いえいえ。こちらこそ、引き受けていただき、ありがとうございます。

これまでは「学習者」として、サポートされる側だったのですが、「外国籍の子どもサポーター」として、サポートする側にまわることになったMさん。

Mさんと同じ国出身のDさんも、数年前に子どもサポーターとして登録したことがきっかけとなり、今では各種分野の通訳サポーターとして、また相談員として、MIA事業に欠かせない存在となっています。

これまた少々偉そうですが、このようにちょっとだけ背中を押して、能力を発揮してもらう場、社会参画のきっかけを提供することも、MIAの役割の一つだと考えています。

昨日、Mさんから3回目の活動報告の電話がありました。
 「次は数学の授業でサポートしてほしいと言われました。少し難しいかもしれませんが、頑張ります。」
とのことでした。

はい。MIAも応援していますので、Mさん、引き続きよろしくお願いしますね!

(OZ)

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月餅よ永遠なれ

 中秋節は月餅の季節。中国にいた頃、この時期になるといろいろな方から月餅をいただいたものです。月餅はカロリーの権化とでも言いたくなるほど栄養の塊で、アヒルの卵が埋め込まれていたりするくらいですから、3個も5個もいただいても、とても消費しきれるものではありませんでした。いただいては他の方にスルーパスしていました。すみませんすみません。

 ぼくの知る10年以上前の中国では、日本のお中元、お歳暮みたいに、お世話になった方へ、両親や親戚へ、上司や同僚へ月餅が配られていましたが、それもいまはむかしのようです。

 昨日、宮城県海外研修員として来県された中国吉林省のCさんがMIAに表敬訪問されました。大分県に10年ほど滞在されていたことがあると言うCさんと日本語でごあいさつをしましたが、話はどんどん深みにはまり、現在の中国の公務員の実態、悲哀なんて話にまで及びました。

 汚職(中国語では「貪汚」と書きます。「きたないことをむさぼる」とはまさに)や公務員の特別待遇に厳しい視線が注がれるようになった結果、最近では出張費もぎりぎり、そもそも旅費がかさむ出張には上司の許可が下りない、給料もカット、退職後の年金(厳密には年金というより恩給に近い感じですが)もカットなどなど、公務員改革ががしがしと進められているようです。市民からの突き上げもかなり強いそうで、現場で公務員は板挟みになることもしばしだそうな。

 そんなご時世、結婚式を開くと、招待された方々への聞き取りが行われ、ご祝儀と接待の相関関係などを調べられるほど徹底した管理が行われているみたいです。日本のように市民オンブズマンが機能しているのか、公務員組織の中にそういうセクションがあるのか、そこはよく分かりませんでしたが(おそらく後者でしょう)、中国社会の汚職叩きは相当な力の入れようだと感じました。

 何年か前からは職場内で上司が部下に月餅を配ることもご法度になったのだそう。むかしのように月餅が売れなくなったのは当然の帰結です。

 いやあ、おもしろいお話を聞かせていただきました。謝謝、Cさん。

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とーます
※中国は家族や知人友人に物を贈る文化が日本以上に激しく、出費がかさむようで、それが特に著しい春節には、これまでは必ず故郷に帰るということが一般的でしたが、出費を恐れて、あるいはない袖は振れないと諦めて帰郷しない人々を表す「恐帰族」なることばが生まれたとか。

よいニュースは囁かれない

 MIA日本語講座のある学習者から「クレーム」を頂戴しました。

「MIAのブログではおしゃべりの時間とか女装まがいのアクティビティとかそんなのばかりが取り上げられますが、もっとわたしたちが一生懸命ふつうに勉強しているところも書いてほしい。」

 OMG。おっさるとおり。楽しげなことばかりを取り上げております。

 受講生のみなさんは日々、一生懸命ふつうに勉強していらっしゃいます。今年4月からの講座は全体的に出席率がとても高く、初級1のクラスでは皆勤者が4名もいました。前代未聞です。オトナになってから勉強することのたいへんさを少しぐらいは知っているつもりですが、彼ら・彼女たちの日々の努力にはほんとうに頭が下がります。

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※皆勤賞のみなさま。9月16日の閉講式にて。


 ふつうのことってふつう過ぎてなかなか書けないんですよねえ(ってこれは言い訳)。ニュースもテレビもそうじゃないですか、悪いことばかりまくし立てられて。

 ふつうのことにもっと目を配って、ささやかながらも味のあるブログを書きたいものです。


とーます

職場体験

 宮城県には35の市町村がありますが、人口が増えているのは仙台市とその周辺のいくつかの市町だけで、あとは軒並み緩やかな、もしくは急激な人口減少の波がひたひたと押し寄せています。ぼくが住んでいるO市もその例にもれず、最近になって半官営の定住者誘致組織と結婚相談所が開設されました。行政がこういうのまでやるのってどうなんだろ?と思わなくもありませんが、いまはむかし、おとなりの山形県などでは行政が外国からの花嫁をお世話したなんて「史実」もございますから、時代とともに世の中も変容していくということなのでしょう。

 さてさて。最近は小学生から大学生まで名称こそ「職場体験」「インターンシップ」などいろいろありますが、要するに学校を飛び出して「仕事」を体験しようという活動が活発でございます。MIAは半官半民の組織として、できうる限りこうした児童生徒学生を受け入れております。

 先週のこと、ある高校生からご相談をいただきました。その方が目指す大学では、入学前の半年のあいだに「国際的な活動」をすることが求められており、受験時にその青写真の提出が求められるのだがMIAでは何かそういったチャンネルはないだろうか、といった内容でした。入学前に留学せよといった大学教育改革がわあわあと騒がれたのはいつのことでしたか。騒いでは騒ぎ疲れて一気に盛り下がるのは日本の常ですが、いえいえ大学も少しずつ変わっているのですねえと思わされた次第。因みに、他の受験者はどんなことをされるのでしょうかと聞いたところ、最初の数か月はアルバイトして資金をためて海外に1か月ぐらいボランティアをしに行くとか、そんな感じらしいです。

 MIAは、今年変則的なインターンシップを数名(?日本人父とアメリカ人母を持ち現在はアメリカの大学に通う学生、?同じくアメリカの大学に通う韓国人外交官の娘、?両親ともに韓国人ながら幼少のころから日本に育ち、現在は日本の大学に通う学生、などなど)受け入れましたが、MIA内部にとどまらず、行政、民間の会社、NPO法人、ボランティア団体などさまざまな「窓」を通じて、宮城県内の多様な国際活動を垣間見ていただくようなアレンジをしました。MIA内のメニューも多岐にわたっていますし、様々な方々と接触できてオモシロイはずですが、期間が長くなってくると、どうしても国際的雪掻き仕事(村上春樹のぱくりです、ハイ)みたいな作業補助をお願いすることが増えてくるということもあり、それならばいろいろなところを回って、違った景色を見ていただいた方がよろしいのではないかという思いからです。当の学生がどう思われたか寡聞にして分かりませんが、ひとつのスタイルが確立できたような気がしています。

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※インターンさんと相談員さんがMIA所蔵の国旗の整理整頓作業中

 ですので、その高校生にも上記のようなプログラムを提案したところ、「予想外に素晴らしいプログラム」だと喜んでもらえました。こちらも嬉しいです。

 来月には、高校生20人ばかりが震災時の外国人といったテーマでMIAに話を聞きに来ることになっています。

 ぼくの子どものころ、前世紀の話ですが、こんな活動はまるでありませんでした。父親が働いている組織名ぐらいはうっすらぼんやり知っておりましたが、父親がそこで何をしているのか、その組織が社会の中でどんな役割を果たしているのかなんてまるで頓着しておりませんでしたし、誤解を恐れずに言えば、それはオトナの世界であってコドモには関係ないとさえ思っていたような気がします。学生時分、世は泡沫経済が弾けて消し飛んだ直後でしたが、そもそもシューショク自体が他人事でしたので、インターンなどという発想さえも脳内には1ミリたりともなく、のほほんと学生をしておりました。こういう職業観皆無、勤労に対する無理解を予防するための昨今の動きでありませうか。

 さはさりながら、気になるのは当のプログラムに参加された学生諸氏の内部に何が残るのかということ。だいたいおりこーさんたちは「働くことのたいへんさが分かりました」「今回の経験を糧に今後も努力していきたいと思います」といった城東区じゃなくて常套句のオンパレードで、こう言っとけば大人もつべこべ言わないでしょというニオイが芬々とするような気がするのは、こちらの根性が捻じ曲がっているばかりならよろしいのですが、はてさて。

 あと数十年を経て、職業体験を積んだ方々がリアルに働くようになった時、世の中がどう変わっているものか、楽しみです。特に何も変わらない、勤労意欲に向上が見られる、さあどっち?後者であるならば、ぼくもいまからでも「職場体験」にエントリーしようかな。え?それはただのおじさんアルバイトだ。


とーます

地平線の向こうにヌーが見えます

 多言語情報かわら版、次号では原付バイクの免許取得について取り上げます。すったもんだで通常より約2週間遅れて原稿が出来上がり、英語、中国語、韓国語、ポルトガル語それぞれの翻訳者のところにお送りしました。しばらくしてポルトガル語の翻訳者、みやぎ外国人相談センターポルトガル語相談員でもあるVさんからメールが届きました。

「ブラジルと日本では視力の表現の仕方が違うんですが・・・」
「わたしは目が悪い方でブラジルでは4.0とか5.0とかと判定されるのですが、これって日本では視力がいいことになりますよね。」

目が点になりました、視力なだけに・・・だけに?全然関係ないじゃまいか。

 ともかく、視力の表現スタイルは世界共通でないことは分かりました。聞けば、アメリカは20/200とか20/20とか言うようですし、そう思って調べてみたら、世界には大きく分けて4つぐらい視力の表現スタイルがあるらしいのです(ウィキさんありがとう、ウィッキーさん最近見ないな、お元気かしら・・・)。問題は、ブラジルがそのどれにもあたらないことで、インターネットでどう検索してもそれらしいものを見つけることができませんでした。日本と逆で数字が小さくなればなるほど視力がいいということらしいのです。どなたかご存知の方いらっしゃいませんか?お礼はたっぷりさせていただきます。ありがとうを2千回ぐらい。

 Vさんとのメールの応酬でだんだん興に(頭に)のってきたとーますは、返信メールで応えて曰く、

「日本で4.0とか5.0とか言ったら、それはアフリカ大陸で地平線の向こうからヌーの群れがやってくるのが見えます、というレベルですよ。」

Vさん、腹の皮が破れたらしいです、笑いすぎて。この一件で、Vさんはまだあまり日本語ができなかったころに日本の眼鏡屋さんでもめたことを思い出したとおっしゃってました。


とーます
※そのむかし祖父が、若かりし時分の視力を自慢して言っていたことも思い出しました。「加護坊山のてっぺんで蟻が相撲をとっているのが見えた」、と。祖父は5.0どころか10.0ぐらいだったのかもしれません。蟻が相撲をとればの話ですが。

※視力をはかるときの記号も共通じゃないみたいです。「E」が上向いていたり、横向いていたりするそうです。この写真は中国のです。
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 定住外国人とともに学ぶ実践介護塾、全3回の最終回が9月12日に無事終了しました。第1回、第2回の参加者が予想していたほど多くなかったので、この分野に関心が無いのかしら?それとも、仕事や家庭の事情でみなさん忙しいのかしら?担当者とーますが気にいらないのかしら?介護塾のチラシを見たことを忘れてしまったのかしら?とかしらかしらをループしておりましたが、第3回は予約なしの飛び入りの方も含め30名近い参加者で満員御礼(大入袋の提供募集中)でした。

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 東北福祉大学教授の加藤伸司さんの講義「認知症の理解と正しいケア」、大好評でした。認知症の実態、認知症患者への接し方などなど。認知症といってもいくつか種類があることも学びましたし、基本的に避けがたい病であることも分かりました。やってはいけないこと、「上から見下ろすこと」「後ろから話しかけること」「遠くから大声で呼ぶこと」「無視すること・本人の前で他の話をすること」「無言でケアすること」「子どもあつかいすること」、ほんとうにそうですねえ。妻にもよく言い聞かせたいと思います。聞いてもらえるかしら。

 参加者の質問もたくさん出ました。特に、予防について、そうはいってもなにか方策はないものかと真剣なまなざしが痛いほどで、加藤さんが「糖尿病や高血圧は認知症になる可能性が高くなる・・・」と回答をしたところ、一同すごい勢いでメモを取っておりました。その日の夕飯以降、大幅に塩分と糖分の摂取量が減少したことでせう。「味噌汁、今日薄くないか」なんて言っちゃだめですよ、予防です、妻の愛です。

 また、ある中国出身者から、中国では夫婦共働きで子どもの世話は両親にお願いすることが多いのだが、どうやらそのおかげで日本人ほど認知症にならないのではないかという「孫の世話認知症予防説」が唱えられました。加藤さんは、少なくとも孫の世話をすることで運動することになるし、役割があるということは認知症の予防にはとてもよいことだということをおっしゃっていました。ただぼんやりこたつの運転手をしているのはよくないみたいですよ。ぼくも両親にもっとあれこれ頼もうと思います。おこづかいちょうだい・・・ちがうか。

 もうひとりの講師、神戸定住外国人支援センターの理事長、金宣吉さん。神戸の震災後、定住外国人のさまざまな支援を行っていく過程で、特に在日コリアンの高齢者福祉問題に行き当たり、いまではグループホームやデイサービスを運営されているということで、そちらの報告もとても興味深いものでした。

 母語返りについて、つまり、あとから覚えた第二言語が認知症とともに失われていくということに関して、金さんはじっと考えてから、「科学的根拠があるわけではないですが、いちばん楽しかった時代のことばが残っているように思います」と答えられました。参加者の脳内は、おそらくこんな思考が右往左往していたのではないでしょうか。「わたしにとって日本での生活は楽しかったのかしら?」、と。

 2時間半はあっという間に過ぎました。みなさまのおかげでとても楽しく学ぶことができました。次は、アウトプットプログラムだ!今度は介護職の方々に「外国人と介護」を考えていただきます。


とーます

嵐の中を気仙沼へ

 今週末、宮城には嵐が来るらしいですが、先週の9月10日、嵐の中を気仙沼に行ってまいりました。震災以来、年に何度かのオツトメ、外国人講師の学校派遣です。バンクナンバー参照。今回は、アメリカ人、台湾人、タイ人、インドネシア人、インド人、韓国人ご一行さま。添乗はわたくしロートルとーます。車内公用語は英語8割、日本語2割でした。ぼくはその2割の4割ぐらいを占拠してました。

 行きも帰りもほぼずっと雨でしたが、渋滞もなく速度に変更もなく。いつも通り、脱兎の如くダッとかっ飛ばしてまいりました。数年前は、石巻を通り抜けるのに渋滞は必須でしたが、いまはそうでもないようです。少しずつ少しずつ状況は変わっています。

 石巻赤十字病院の脇を通り抜けたときに、震災直後この病院がどんな状態だったかを少しお伝えしたら、みなさん驚いておりました。留学生は軒並み震災後にいらした方々ですからね。アメリカ人Sさんは、当時ちょうど石巻市のALTとして勤務していたということで当時の話をあれこれ聞きました。

 Sさんは、震災を跨いで計3年間石巻市に配属されていました。その1年目の勤務先は石巻市雄勝。震災当日は勤務校が休みだったため、午前中に古巣の雄勝の学校に遊びに行っていたそうです。その数時間後、雄勝があんな壊滅的なダメージを受けるとはだれが想像したでしょう。大地震発生のときは既に雄勝を離れ、石巻市蛇田地区に来ていたということで、大きな揺れに気づいてラジオで大地震を確認し、山の手の方に避難したとのこと。住んでいたアパートは2階だったため幸い部屋は浸水しなかったけれど、水が引くまでしばらく部屋に行くことができず、1週間ほど避難所にいたそうです。「地震のおかげで日本語力が上がったような気がします」とSさんは言っていました。火事場のなんとか・・・の類いかもしれません。

 気仙沼の小学校では教頭先生の話に驚愕しました。

「いまの小学1,2年生は、震災が物心つく前のことで、気づいたら仮設住宅に住んでいたという状態。意味が分かってないものだから、『だれちゃんはどうしてあんな変なおうちに住んでいるの?』なんて言葉が出てくるのです。ただそういう子が震災のショックを受けていないかといえばそれもそうではなく、今後何らかの形で出てくることもあり得るので、現場としてはそういう勉強もしていかないと思っています。」

 そんなお子さんたちに我らが外国人講師陣はどんな元気をもたらすことができたのでしょうか?教室を覗いて回りましたが、お話だけでなく、歌ったり、踊ったり、いつもの如く楽しげでした。

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インドネシアのAさんは、民族楽器アンクルンを持ち込んで、合奏してました。


 帰り道、車内の話題は主に2つ。

 1つ目。日本人の学生はなぜあんなにおとなしいのか。どの留学生に聞いても、日本人の学生はおとなしいと言います。英語で行われる授業においても、英語ができなくて話さないのではなく、英語ができるのに話さない節があるのだそうです。自己主張をしない日本人は若い世代に至ってもあまり変わりがないということなのでしょうか。主張すればいいってものではありませんけど。

 2つ目。日本人の段取り主義。日本はなぜこんなに準備、段取りにこだわるのか。あまりに段取りに時間をかけすぎている、決まったとおりにしか動けず臨機応変な対応ができない、などなど。前にあるブラジル人が言ってました。「椅子が何個とか、だいたいでいいじゃない。足りなかったらそのとき付け足せば。」来年はリオデジャネイロでオリンピックが開催されますが、競技場が間に合わないんじゃないかなどと言われています。でも、きっと間に合っちゃうんだろうと個人的には思います。こないだ読んでいた「路(ルウ)」でも、台湾新幹線の着工をめぐって計画通り至上主義の日本と計画は計画でしかない台湾との対比が描かれていました。外国人にはときに滑稽に見えているみたいでっせ、ダンナ。まあ、こちとらMIAは、「行き当たりばっちり」などと言って、およそ予定通りに行かないことを前提で計画を立てております。

 仙台市内に戻り、間もなく解散となったとき、なぜだか急に「蛇食」の話題になりました。台湾、タイ、インドネシア、いかにも食べそうなイメージじゃないですか。がしかし、台湾Kさん、タイSさん、インドネシアAさん、こぞって「No!無理無理絶対無理。」ご当地ではそういう食文化はあるけれど、私は食べないと3人が3人同じご回答でした。ええ!ぼくは何でも食べましたけど。蛇の血も飲んだし、胆嚢を白酒に入れるとそれはきれいな緑色でしたよ!苦かったけど。

 お別れのとき、ご一行様が心なしかよそよそしく感じました。


とーます

今週月曜日に「日本語ボランティア養成講座(石巻編)」が始まりました。

講座の前に、講師の鈴木さんと一緒に、まずは「国際サークル友好21」さんの日本語教室の様子を見学させていただきました。

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中国、アメリカ、インドネシアの方など10名がマンツーマンで勉強しています。

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MIA発行の「使って覚える楽しい漢字」も使われています。
学習者、支援者双方から「いいね!」コメントをいただき、作者の鈴木さんも私も嬉しくなりました。

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こちらの教室は託児付きです。

国際サークル友好21事務局長のSさんが部屋に入ってくると、男の子がトコトコトコと寄って行き、大きな瞳でじっと見上げて「抱っこ」をご所望。

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結果、この状態に。
Sさん、小さいお子さんにも大人気みたいです。

午後からは、いよいよ「日本語ボランティア養成講座」となったのですが、一つ大きな誤算が(!)

名簿では20名ほどのお申込みだったのですが、この講座の情報を最近お聞きになったということで、申し込み無しでいらした方が次々にお見えになり、少し多めに用意したはずの配布資料が足りなくなってしまったのです。

いや、まさに嬉しい悲鳴&嬉しい冷や汗。

たくさんの方に関心を持ってもらうのは、とてもありがたいことです。

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講師の鈴木さんのお話は、いつものように参加者のハートをギュギュっと鷲掴みにし、講義終了後に、
「面白かった!」
と興奮気味に鈴木さんに感想を述べてくれた方もいたとか。

あと2回もきっと面白くてためになる講座になると思います。

皆さんの引き続きのご参加をお待ちしています。

(OZ)

 

日本語講座の休講

 昨日、気仙沼日帰りおしごとの帰り道、トイレ休憩を兼ねて立ち寄った道の駅「林林館」で鬼怒川の堤防決壊のライブ映像を見て動顛しました。かれこれ30年前に隣町の鹿島台が洪水になった記憶が蘇ってきました。そして、今朝。自宅からほんの数キロ離れたところで堤防決壊による洪水。ぼくはそんなこととはつゆ知らず、今日はおそらく日本語講座を休講にしなければならないだろうと思って、7時6分古川発の新幹線に乗るべく、家人に駅へと送ってもらいました。

 MIAに着いてみれば、JR線は新幹線以外全線運転見合わせということで、また仙台市の小中学校も休校とのことでしたので、MIAの内規に沿ってMIA日本語講座の休講を決め、講師陣と受講生への連絡を開始しました。

 電話連絡を始めたのがおよそ8時。MIA日本語講座初級1・2のクラスは10時開始ですので、早い人は8時台から移動を開始しているはず。出る前に連絡がつけばと思っておりました。予想外にさくさくと連絡ができて、開始小一時間でひとりふたりだけ通じないとか、電話連絡ができない人を残すばかりでした。

 連絡ができないというのは、こういうことです。受講生には受講生カードというのを書いていただいているのですが、来日間もない方などでまだ携帯電話を持っていないということがあって、受講生カード記入時に電話番号欄を空欄にしていたのをそのままにしていたんですね。あとから確認する機会は何度もあったはずなのですが・・・反省です。

 ちなみに、その方にはメールとフェイスブックのメッセンジャーで連絡をして、9時半には返事がきました。

 最近、学習者間の連絡ツールはLINEが多いみたいです。留学生はフェイスブックの利用も多いです。地震のときと違って、今日のようなケースは通信に支障はほとんどないので、「空中戦」は有効ですね。ただし、時間との戦いだったので、半アナログな電話連絡を優先しました。

 2年ぐらい前に休講のルールを作って、受講生には予め通知文を渡しておりましたが、今回はその発動第一号。思ったよりスムーズに運びましたが、反省点もちらほら。でも、担当者とーますからの日本語の連絡をみなさんしっかりキャッチしてくださいました。さすがMIA日本語講座。がはは、自画自賛。

 休講にしたコマをどうするかについても方向性は決まりました。もともと来週16日に閉講式を予定しておりました。この日程を動かすと大きな混乱が伴いそうなので、閉講式の内容を一部端折って対応することとしました。

 明日はあしたで「定住外国人とともに学ぶ実践介護塾」フィナーレ。認知症を学びます。心して学びます。すぐに忘れないように頑張ります。明日おしごとだということを忘れないように頑張ります。明日は頑張ります。明日、はて、何を頑張るんだっけ・・・


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※こんな嵐の日に頂いたおみやげさんたち。利府と名古屋とアルゼンチンから。



とーます

日本語講座です!

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 これは本日のMIA日本語講座初級1クラス。「帽子をかぶります」「スカーフをつけます」「手袋をします」「イヤリングをつけます」といった動詞の勉強です。中国のZさんがモデルになって実演をしたようです。メキシコのJさんがノリノリで「ボクのカノジョ」と言ってました。微笑ましい写真です。ほかの学習者は大笑いしつつ、ぱしゃぱしゃと写真撮影に明け暮れていました。

とーます
※「ヅラを付けたり外したりして差し上げましょうか」とS先生に提案したものの、まだかろうじて自分の髪だったことを思い出しました。

※髪は「長い友だち」と申しますが、友だちを失うことはそこはかとなく悲しいものです。しかしこれも運命。友だちとの残された時間を大切にしたいと思います。
 先週金曜日、MIAはいつも以上に来客の多い日でした。

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 MIA日本語講座の元講師Sさんの来訪も金曜日でした。Sさんは、国際交流基金の派遣でロシア連邦はノヴォシビルスクの大学で日本語教師を3年間されていましたが、この夏任期満了を迎え、つい一週間ほど前に帰国されたとのこと。ちょうどMIA日本語講座のスーパーバイザーはじめ講師が数人いらしたので、記念撮影なぞ。中央のSさんがお持ちなのが、おみやげのチョコレート。パッケージはノヴォシビルスクの有名な劇場だそうでして。

 で、気になる中身。

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 2段になってまして、1段目はオーソドックスな一口サイズのチョコレート詰め合わせ。2段目が上の写真。でか!(「イ」抜き形容詞はすっかり市民権を得ましたねえ。いまどきの小学生は全部「イ」のない形容詞です。「うま」「まず」「はや」「おそ」「きしょ」「きしゃ」「しゅぽ」「しゅぽ」・・・)

 比較の殿堂、タバコの箱を横に置いてみましたよ。測ったらφ8cm、高さ2.5cm、中はマシュマロですが、しっかり甘く、一個食べたら糖質摂取基準値数日分になるんじゃねいの・・・Sさん曰く、「ロシア人はこれをむしゃむしゃ食べてます。」

 すご!

 今回はロシアのエピソードをあまりお聞きする時間がなかったので、今度お会いしたときにでもゆっくり聞きたいものです。以前、ロシア初だかノヴォシビルスク初だかのコスプレ大会を企画運営したとかいう「伝説」もありましたし。


とーます
※いまの世の趨勢からしても、そろそろ比較の対象はタバコの箱でない方がいいような気もしますが、だとしたらなんですかね。今回だったら、10円玉と500円玉とか硬貨がよかったかもしれませぬ。

※このタバコもいつぞやあるボランティアさんからいただいたものです。韓国製らしいですが、中国みやげだったかと。タバコをやめて間もなく10年になりますので、机の中で寝かせています。

※このチョコレートの厚みを示すにはいつもポケットに無造作に入っている札束を2束ぐらい並べればよかったですかね。言ってみたかっただけです。No More 白眼視!

「おしゃべりの時間」体験記

こんにちは、"くわ"です。

長々とインターンのお世話になっています!

 

さて、この度9月4日

MIAの日本語講座にて「おしゃべりの時間」というイベントが行われました。

 

日本語講座で学習していらっしゃる方々と

日本人ボランティアの皆さんで日本語を使ってお話をしようというものです。

(今回、韓国人のぼくは日本人ボランティア役でw)

 

今回の「おしゃべりの時間」は初級の講座で学習されている方を

対象に行われました。

 

お話によると、学習者の皆さんは、数か月前まで

日本語がまったくできない人も多かったとか...

 

しかし、実際に話してみると、皆さんすごい!!

皆さん一生懸命日本語で説明しようと心がけ、

なおかつ、正確な意思疎通!

(一年半中国語を勉強しても何もできない僕は...泣)

 

また今回、このおしゃべりの時間を通じて、

日本語の教え方についても改めて考えさせられることに。

 

実際、話してみると分かるのですが、

「話し言葉」と「書き言葉」

実はかなり違うんです。

それも想像以上に!

 

このバランスが日本語教育の「難点」であり、

一方で「キー」になるのでは!?

 

とにもかくにも、学習者さんたちの

日本語上達には毎回、感服です!

 

皆さんの今後のご健闘、勝手ながらお祈りしています!

がんばれ!!!

 

くわ

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初めまして!

宮城県の皆様、初めまして!

私は今年7月下旬に宮城県で勤め始めたコルベット・スティーブ(Steve Corbett)と申します。

宮城県国際経済交流課と宮城県国際化協会の国際交流員だから、もちろん国際交流が好きです。

出身地はアメリカの西海岸、カリフォルニア州南部のアーバイン市という閑静な住宅街です。アーバイン市に行ったったことがある方は「ああ!ディズニーランドの近くだ!」と言います。実家から車で行くと、所要時間は20分なので、何十回もディズニーに行ったことがあります。

今回宮城県に来てから、まだ1ヶ月しか経っていないけど、実はファーストタイムではありません。2009年から2012年まで丁度3年間石巻市で外国語指導助手(ALT)として子ども達に英語を教えました。

3年間の真ん中に、東日本大震災が起きて、日本に来る前の予想よりとても強い絆を作ることができました。第二の地元という事があれば、私のセカンドホームは絶対に宮城県です。また宮城に住めて、本当に良かったです

趣味や興味を持っていることは、たくさんあります。音楽が大好きですので、10年以上ギターを弾いていますが、ダメです。20年で達者にならなかったら諦めるけど、とりあえず頑張り続けます!

読書とドライブと旅行も大好きです。最も好きな事はやっぱりスポーツ。野球とアメリカンフットボールとアイスホッケーはトップ3だけど、運動ならなんでも興味があります。

次に行ってみたい国はたぶん中国だと思っています。韓国に行ってみて、本当に満喫できたから、アジア大陸をもっと探りたくなりました。

MIAに勤務している期間に、もちろん自分の国の文化をシェアしたいです。それ以上に、他の国の文化(もちろん日本を含みます)、他の人々の生活について色々知りたいですから、皆様に会うことを楽しみにしています。

スティーブ

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これからよろしくお願いします!

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事務所にいらしたMIA卒業生のお二人と

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それぞれ足元がカラフル!だったので、こんな写真も撮ってみました

20年前にあればよかったのに

 先週末の8月29日(土)、定住外国人とともに学ぶ実践介護塾の第2回が終了しました。

 仙台駅に集合し、そこからバスに乗って仙台市青葉区国見ケ丘へ。せんだんの里せんだんの丘の二手に分かれて見学。参加者は時間の関係でこのいずれか一方を見学いただきました。高齢者の生活の場にぞろぞろがやがやと押しかけるのはちょっとあれということで、参加者に分かれていただきしました。それぞれ全く違った経験ができたようです。

 車いすやベッドとすれ違えるように広々とした渡り廊下があって、体が不自由なお年寄りでも入れるお風呂があって、と日本の福祉の粋が集まった施設を見学しました。大枠は法律に則っていますが、細部は各施設の方針や考え方で様々のようです。例えば、職員の制服。せんだんの里は生活の場にユニフォームを着ている人がいるのはおかしいということで、スタッフは全員私服で名札もなし。理由を聞けばなるほどと思いましたが、もう一方のせんだんの丘ではスタッフはすべてユニフォーム着用、職種によってユニフォームにも違いがあるようです。

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※ここは「勾当台公園」、せんだんの丘は各所に仙台の地名が付いています。


 せんだんの丘では介護食の体験もしました。数種のおかゆ、すりつぶした野菜や魚の再成形。実際食べてみた方の感想は聞き及んでいませんが、すごいことですね。

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 現場の職員の方からうかがうお話は、通り一遍の制度や設備の説明のみならず、裏話、こぼれ話、いまどきのことばだと「ぶっちゃけトーク」って言うんでしょうかね、とても刺激的な内容でした。

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※せんだんの里には、様々な入浴設備がありました。


 せんだんの里では、グループホームとデイサービスの現場に実際に訪問させていただき、利用者さんと交流しました。

 フランス出身のMさんは、グループホームに入っていくなり、ある利用者さんに「どこの国の人?」と問われ、フランスと答えると「実は、むかしフランス人の留学生をホームステイさせたことがあってね。」なんて昔語りが始まったようです。

 グループホームを伺ったもうひとり、中国出身のKさんには、80代と思しきおばあちゃんがつつつと近寄ってきて手を握りしめ「あらあ!」ととても喜ばれたようです。どうやらご家族か知人のどなたかと思われたようです。Kさんはそのグループホームを出られてから、「あのおばあちゃん、寂しいんだねえ」と、ぽつり。そうですねえ・・・

 帰りのバスのなかでは、それぞれの感想を語っていただきました。中国出身のMさんの言葉がとりわけ印象的でした。

「わたしの父と母は20年前に介護を必要としました。あのときの中国に今日のような施設があったらどんなによかったか。」

 参加者それぞれの家族が、かつて必要とし、あるいは現在そのまっただ中にいて、あるいは将来必要とするであろう介護。過去、現在、未来の家族を思い浮かべ、みなさんの脳内は少なからず刺激を受けていたように思いました。かくいうぼくも数年前までグループホームでお世話になっていた父方の祖父、現在老健施設にお世話になっている祖父を思い出していました。

 いつものバスツアーとはちょっとだけ雰囲気の違う帰りのバス車内。その日は一日中雨模様でした。


とーます

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