MIAの国連防災世界会議

3月14日(土)。始発の新幹線で出勤。在来線のように5時台から動いているわけではないので大したことではありませぬ。

7時40分、MIA到着。だれもいない事務所。メールを確認する。特に問い合わせもなし。

8時、MIAのふたりのスタッフが相次いで事務所入り。準備物は前日にすべて整えたはずではあるが、忘れ物がないか、抜けがないか、めしはまだか、不安である。

8時10分、事務所の電話が鳴る。予約のタクシーが到着とのアナウンス。慌てて荷物を抱え、階下へ。

8時20分。道路は全く混んでいない。情報筋からは、ジャズフェスの4倍の人出があるとか、警察からは市内各所で一時的な通行止めがあるとか、さんざん脅かされていたので、早めに動いたら、早く着く。まだ会場にも入れず、パブリックフォーラム事務局のスタッフの方々とともに会場入口で待ちぼうけ。あるひせっせとのらかせぎ・・・ 

8時30分、開場。我らが会場401会議室前に移動。会場の入口は施錠中。45分に5階「教養室」にて主催団体代表受付すべしとのお達しでそれまでは手持無沙汰。

8時45分、401会議室の鍵が開く。準備開始。MIAスタッフがぱたぱたと動き出す。英語の通訳をお願いしていたボランティア、登壇者も続々と現れる。謝金、交通費を渡したり、なんだりかんだり走り回る。

9時。登壇者ひとりを除いて全員がそろう。そのひとりが、パネルディスカッションの進行者だからたまらない。慌てて電話してみると、「あと4分で着く」と息せき切っている。5分はかかると踏む。ひとは蕎麦屋になるものさ。

9時5分。登壇者と英語通訳者たちは控室の和室へ。パネルディスカッションの下打ち合わせ。登壇者はこの1時間で話す内容や方向性を確認する。とても大事な時間。進行役抜きで自己紹介が進む。

9時15分進行役Mさん到着。息が切れている。「(MIAスタッフ)Oに怒られる」と舌を出す。元気そうだ。これなら心配ない。和室へ誘う。

9時20分。既に会場前のエレベーターホールには10人以上の人が待っている。とりあえず来場者がふた桁になりそうだとほっとする。担当としては、50人来たら道頓堀にダイブはしないけど、それくらい嬉しいかなという腹積もり。根拠は全くない。会場キャパシティの半分は来てほしいな、そうすればパラッパラのスカスカには見えないだろうな、ただそれだけ。

9時30分、開場。エレベーターが4階にもピストン輸送している。ぼくは特段用事もないのに、まるでルンバのように会場内を無意味に駆け回っている。足の裏にモップをつけておけばよかった。

9時45分。とりあえず準備していた50部の資料がはけそうになる。さらに50部の資料セットを準備。ひとの流れはきれない。知った顔も多数お見えになるが、知らない方も随分とお見えになっている。もしやこれは・・・

9時55分。会場がほぼ埋まりつつある。スタッフ用の椅子を供出。そろそろ資料が底を尽きる。ということで、通訳のみなさんに渡していた資料を回収し始める。

10時、開始。ひとはまだ陸続と。いよいよ席も資料もなくなり、エレベーターホールの三連ソファを担ぎ運ぶ。会場は人いきれで暑い。

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10時2分MIAからの説明。震災前後の外国人登録者数や属性、また震災後のMIAの取り組み。わずかな空き席に来場者を誘導する。スタッフの荷物置きの椅子も音響担当机にあった椅子も全部供出。足りない。資料は完全にない。

10時18分。パネルディスカッションスタート。パネラーがさっきまで座っていた椅子もすべて遅れてきた来場者が温め直す。定員100名は超えた模様。物置がつぶれる・・・

パネラー5人によるお話をここに再現することは到底ぼくの及ぶところではない。ぼくは、パネラー5人それぞれからすでに1度や2度、ひとによってはそれ以上さまざまなお話を伺ってきたが、今回はそれをなぞるエピソードもあったし、初めて聞くエピソードもあった。


例えば、震災数日後の停電中、高層階に住む高齢者に水を届けるボランティア活動のおはなしをしたのはネパールのアルンさん。
「外国人に助けられるとは想像もしていなかったみたいで、どう反応していいか分からなかったのでしょう。相当戸惑っていた。でも、何回か続けると、そのお年寄りから『あなたたくあん食べるの?』なんてお茶を出されました。」
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例えば、石巻で独居老人などの買い物を代行するサービスや同じく独居老人の見守り隊を立ち上げた韓国出身の梶原美佳さん。
「石巻だから、『刺身食べたい』と言うのね。そして、刺身とくればお酒。震災後、それはなかなかおおっぴらに言うこともはばかられるのですが、でも食べたいですよね。」
「最初外国人のスタッフは玄関ベルを押したあとに『見守り隊の某某です』とすらすらと言うことができなかった、怖くて、緊張して。でも、この活動を通じて自信と度胸がついたのか、今ではみんなフルタイムの仕事についている。」

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中国出身の小関一絵さんは、大使館からの要請で新潟空港の中国政府チャーター便に乗って帰国したい同胞のために、宮城県から新潟までの足の確保に奔走した。「私はバスの手配をしただけですが、この活動は私にとっても思わぬ再会があったりとうれしいことも少なくなかった。」この「だけ」がどれだけの同胞のためになったことか。
一方で、小関さんもまたふたりの子どもを持つ母でもある。「日本の学校の防災教育はすばらしいと思う。震災当日の夜、息子たちがブレーカーを落としたり、お風呂やバケツに水をためたり、家中の電池や電灯を集めたり。私には思いつかなかった。」

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フィリピン出身の軍司マリヴェルさんと進行役兼務のJ.F.モリスさんは、それぞれの新聞記事を以てダイジェストの代わりとしたい。

軍司マリヴェルさんの特集記事(河北新報)

J.F.モリスさんのロングインタビュー(ハフィントンポスト)



 ありきたりな結論に安易に近寄らず、あくまでも多様な体験と多様な考えをお伝えすることとしましたが、いかがでしたでしょうか?

 ご協力いただいたみなさまに感謝申し上げます。また、ご来場のみなさま、ぜひご感想をお聞かせください。メールでいただいてもいいですし、電話でも。どこかでご一緒したときでも。

 担当としては少しほっとしました。が、まさに国連防災世界会議の幕開けとともにバヌアツ、ツバルに大災害がもたらされました。我々は次は何をなすべきでしょうか?


とーます

このブログ記事について

このページは、MIAが2015年3月16日 18:55に書いたブログ記事です。

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