2015年3月アーカイブ

 はあい、ぼくはじっけんくん。きょうはやさしいにほんごのじっけんについてかくよ。(・・・これ以上ひらがなだけで行くと返って読みにくいというご批判がありそうなので適宜漢字に変換します)

 MIAには通訳のボランティア登録の制度があって、年度ごとに登録の更新をしているんだ。現在登録をしてくれている人に「来年度も登録してくれますか?」「住所などお変わりありませんか?」みたいな文書を送って、お返事をもらうわけ。できるだけ多くの人に協力してもらう方がぼくたちだって心強いから、返事がたくさん来るとうれしいんだけど、3月って特に気忙しいせいか、なかなか思うように返事が来ないんだ。

 いや、気忙しいせいだけじゃない。文書があまりにお役所的、網羅的、旧態依然としていることもきっとよくないんだ。具体例を見せるね。これは数年前にMIAが出した文書。

更新確認文書(H21共用).jpg

 この他に回答用のはがきを入れていたんだけど、まあよくある文書だよね。

 例えば、今年度(平成26年度)だと、4つのカテゴリー(保健・医療、生活相談、外国籍の子ども、災害時)にまたがるMIA外国人支援通訳サポーターの登録者総数は238人。そのうち、外国出身者が過半数の131人もいるんだ。

 以前から、文書にふりがなを振ってほしいといったリクエストはぼちぼちあったんだ。「通訳なのに漢字が読めない?」って思う人がいるかもしれないね。プロフェッショナルな通訳だったらまた違うんだろうけど、ボランティアで協力をしてくれている人たちの中には聞いたり、話したりするのは得意だけど、漢字を読んだり、書いたりするのは苦手っていう人もいるんだ。耳で覚えるタイプの人ってけっこう多いんだ。

 それで、ここ何年かかけて少しずつ文書を手直ししてきたんだ。特に今回は余計な部分をバッサリと落として、回答書とセットにしてすごおく簡単にしてみたんだ、こんな風に↓↓↓

H27サポーター継続登録確認書.jpg
※差し込み印刷なので、この写真のところどころに変な表示があるんだ、ゆるしてチョリソー。


 結果が気になるよね。5年前の回収率は残念ながら数字としては残っていないけど、感覚としては5割どころか3分の1を超えるかどうかぐらいだったんじゃないかな。とーますが返事のない人に片っ端から電話かけしてたもの。それが、今回はなんと65%以上の回答がもう届いている。外国出身者も6割近い回収率で、日本人は8割弱。すごいすごーい。

 結論、文書は簡潔な方がいい。それは日本人にも分かりやすいってことだね。

 さあ、次は何の実験をしようかな。


じっけんくん
とーます代筆

今回の「MIA多言語かわら版」は日本人の死に関わる習慣についてだよね。死だよねぇ。皆誰もがいずれ直面することだ、もちろん、国籍を問わず。「葬式」や「人生の終末」について解説している最近の「かわら版」を読んで思ったんだけど、日本では家族の一員の死って一回の儀式で敬意を払って受け入れて終わるのではなく、長年に渡って敬意を払って受け入れるものなんだね。つまり、故人の死後も親孝行など続くということではないか。何か、何という忠誠心だろう。

ところで、これを書いている「私」は外国人だ。アメリカからやってきた国際交流員のペレズです。今回もお付き合いを宜しく。

さて、私の知っている限りでは、欧米では、キリスト教やイスラム教では葬式は一回だけで、その後、故人の命日には墓参りしたり、家でロウソクに火をつけてお祈りをささげたりするだけらしい。一方、日本では、葬式後、決まって何と死後七日ごとに僧侶に来てお経を読み上げていただいたり、春分の日などにお墓参りして、お墓で食べ物や線香を供えたりする。日本の方がやることが多いようだなぁ。そこは偉いと思ったりもする。確かにこれは仏教の冥福や死後の天国についての考え方が関係しているんだと思うけど、日本人が大事にする傾向にある親孝行と絆の考え方も影響してると思う。必ず面倒を見てあげるとか、そうしないわけにはいかない、とか。
 
よくニュースを見て気になるのは外国のどっかで事故があったりすると、必ず、日本人がいたかどうかが報じられる事だ。日本人1人、外国人16人とか等々。アメリカでは、アメリカ人が何人いたかは報道されない。拉致問題にもこの側面がある気もする。人を見捨てない、その気持ちがどっかに反映されているのではという気もする。これは日本人の絆の概念の証だと思う。同じように親の老後の面倒を見るといった例も挙げられるし。今回のかわら版では、それが死後にも及ぶ事が分かった。

これは人によっては、日本人は日本人しか大事にしない、差別、閉鎖的などと解釈されるかもしれないが、その大事な人が日本人であろうが外国人であろうが、日本人によって同じ扱いされると思いたい、生前も死後もね。

ここまで、読んでくれてありがとう。とにかく、生きている間に、死んだ後も慕われる人間になることを目指したいもんですよね。


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「MIA多言語かわら版」最新号 <お葬式(2)>

ペレズ


 

おくさまA、B、Cの立ち話はまだまだ続くよ、どこまでも。

立ち話(上)
立ち話(中)


OA「日本全体でみても『永住者』が約3分の1。これってすごいわね。」

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OB「永住ってことは、国籍を取ったってこと?」

OC「ちがう、ちがう。『永住者』はあくまで『永住してもいいですよ!』ってことで、国籍を取るというのは、日本人になるってことだから。永住はあくまで外国人のまま日本に滞在するということ。」

OA「そういうこと。だから、永住者には選挙権がないとか公務員になれない(※一部の門戸は開かれつつあります)とか、そういう制約がいろいろある。」

OB「どっちにしても日本にずっといたい外国人が増えているってことじゃないの?」

OC「そうなんでしょうね。だいたい日本人と結婚した人の場合だと、最初は『日本人の配偶者等』という在留資格で、そのまま結婚生活が問題なく続いていけば、4,5年で『永住者』に切り替えることができるみたい。」

OA「就労系の在留資格だと、『永住者』になるまで10年ぐらいかかるから、けっこうたいへんよね。」

OB「ああ、だから、『偽装結婚』なんて犯罪が起こるわけね。」

OC「そういうことよね。いったん永住の資格を得てしまえば、そのあとは離婚しても永住権は残るから・・・だから、入国管理局の審査はけっこう厳しくなっているそうよ。」

OB「わたしの実家の隣の家にも外国人のお嫁さんがいるわ。たしか中国人。餃子作ったから、なんておすそ分けに来るらしくって。」

OC「日本の田舎は嫁不足で、ずいぶん前は役場が率先して中国や韓国からのお嫁さんを斡旋したのよね。それはさすがにまずいということになって、その後は『結婚紹介所』みたいなところがその肩代わりをして・・・」

OA「うちの実家でもそういう話をよく聞くわ。『どこどこさんのおうちは中国のお嫁さんをもらうのにうん百万払った』とかなんとか。」

OB「日本語ができるのかしら、そういうお嫁さんたちは?」

OC「中には、学生時代に勉強したって人もいるでしょうけど、全くできない人もたくさんいる。」

OA「言葉が通じない結婚って考えられる?」

OB「言葉が通じたって話がかみ合わないのに・・・うちだけ?」

OA、OC「がはははは」

OB「あんたたち、笑いすぎ。でも、そういう人たちはどうやって日本語をおぼえるの?どこか学校があるの?」

OC「日本語学校という専門学校みたいなところもあるけど、そこは学費が高いし、大きな街にしかないから、田舎に住んでいる人は、地域のボランティアさんがやっている日本語教室に行ったりするみたいね。」

OA「日本はそういう移民に対して国として何かするという法律もプログラムもないから、支援はもっぱらボランティア頼りよね。」

OB「そういう結婚生活って、たいへんでしょうね。」

OC「まあでも、厳しいことを言えば、その本人だって自分で選んできているわけだから。ただ日本語を学ぶ環境とか、日本語がまだ十分じゃない段階でのことばの支援というのは不可欠でしょうね。」

OA「ただ日本人と結婚する外国人は、いっときに比べるとだいぶ減ってきているみたいね。MIAで聞いたけど、10年前の3分の1ほどになってるって。」

OC「統計からも見て取れるわね。永住者は増えているのに、日本人の配偶者等は減っているから。」

OA「人の流れはミズモノよね。そのときの社会情勢、経済状況、トレンド。そんなのがいろいろと重なり合っているから。」

OB「あ!もう5時じゃない。早く帰ってご飯作らなきゃ。」

OC「うちは今日は手抜き。あそこの韓国家庭料理の店でチジミとキムチを買っていくわ。あそこの韓国人のお嫁さんが作るキムチは最高よ。」

OA「うーん、じゃわたしも」

OB「わたしもそうしよ!」

と、3人はみなその韓国料理店へと入って行き、5分後、それぞれビニール袋いっぱいの韓国料理を抱えて家路に急ぎましたとさ。めでたしめでたし・・・


とーます
※おくさま立ち話はこれにて終了しますが、「はぐれ小学生駄菓子屋編」とか「健康麻雀シニアの集い編」とか、七番煎じぐらいまで思い付いています。

第6回 松島日本語教室まつり

先日「松島日本語教室まつり」に参加してきました。

学習者の成果発表と地域住民との交流を目的としたこのイベントは、昨年は代表のOさんの都合がつかなかったということで、2年ぶりの開催となります。

まずは「成果発表」の学習者のスピーチを拝聴。
テーマは「夢」でした。

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松島町役場で働くRさん(アメリカ出身)は、
「震災で被災した沿岸部がもっと元気になって、コミュニティの結束が強まること。そして自分自身がそれに貢献すること」
という、聞いているこちらの胸が熱くなるような「夢」を、素晴らしく流暢な日本語で語ってくれました。

続いて「交流」の時間に。

「松島日本語教室まつり」と言えばこれ・・・
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Oさん、そして学習者が用意してくれた、豪華ケンランな料理がずらり。

(ワーオ!)

午前中に仙台市内での仕事を終え、昼食抜きで駆け付けた私にとっては、この上ないご褒美です。

他の参加者と話をしながらも、欠食児童の如くいつまでも食べ続けていた私を見て、心優しいスタッフのKさん(韓国出身)は、帰り際、残ったチャプチェをタッパーにつめて持たせてくれたのでした。Kさん、ありがとうございました。

来年は開設20年の記念の年ということで、より盛大に開催する予定だそうです。

Oさん曰く、
「3月の第二土曜日ですから、来年もスケジュールを空けておいてくださいね!」
とのことでした。

ということで、早くも来年の予定が一つ決まりました(笑)。

(OZ)

 

妄想おくさま立ち話(上)はこちら

おくさまC登場。

OC「あら、なんのおはなし?楽しそうね。」

OA「宮城県に外国人が増えているって話をしてたの。」

OB「そうそう、ベトナム人が増えてるって話。」

OC「パキスタン人も増えてるって聞いたわ。夫が自動車関係のお仕事してるんだけど、最近、中古車のオークション会場には外国人がいっぱいいるって。」

OB「へえ、そうなの?」

OA「日本の中古車の解体、販売業界には、パキスタン人、アフガニスタン人、ロシア人などたくさんの外国人が入ってきているようね。」

OC「宮城県だと、パキスタン人は10年前には100人もいなかったのに、いまでは170人以上いるそうよ。」

OB「そんなに中古車の商売をしている人がいるの?」

OA「いえ、かれらは家族みんなで住んでいることが多いらしいわよ。奥さんと子どもは『家族滞在』の在留資格だと思うわ。」

OB「みなさん、ムスリムでしょ?」

OC「そうね。仙台だと八幡にモスクがあるわ。東北大の留学生はここに行くって聞いたわ。」

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OA「大衡村にもモスクができたそうよ。そこは、中古車関係のお仕事をしているパキスタン人が私財を投じて中古の物件を改修したとかなんとか。」

OB「へえ、そうなの。わたし、一回行ってみたいわ。とっても興味がある。」

OC「こないだMIAのスタッフにお話を聞いたら、仙台モスクは見学を歓迎しているそうよ。興味のある方は、MIAに聞いてみるといいわ。」

OB「ムスリムの方々はいろいろと守らなくちゃいけないことがあって、日本での生活は何かと不自由ではないのかしら?」」

OC「そうみたいね。例えば、ムスリム女性は男性に肌をあまり見せてはいけないというルールがあるけど、日本の中学校はだいたい制服で、女子の場合はスカートでしょ。これが、ムスリムには受け入れがたいみたい。ある学校では、校長先生とお父さんが相談をして、くるぶしぐらいまでかかるスカートを着るということになったそうよ。」

OA「スケバンみたい・・・いまの若い人には分からないかしら。スケバン刑事、懐かしいわ。冗談はさておき、でもそういう配慮は必要になってくるわね。」

OC「それから、病院ね。パキスタン人の奥さんが病院にかかるときに、女医さんじゃないと困るという方もいらっしゃるらしいわ。」

OB「日本でそういうのをやるのってたいへんね。」

OA「こないだ、仙台国際交流協会のイベントでマレーシアの留学生が言ってたわ、そういえば。日本では、お祈りする場所がないって。新幹線で仙台に来て、着いた時ちょうどお祈りの時間で、どこでお祈りしていいか分からず、それから、お祈りの前に足を水で清めるんだけど、それもまさかトイレの洗面台に足をかけるわけにもいかず、困ったと言っていたわ。」

OB「日本人の日常生活にはそういうのないものねえ・・・」

OC「ハラルフードは、最近日本の会社でもハラルマーケットを見据えて開発、販売が少しずつ増えているみたいだし、仙台にはいくつかハラルフードのお店もあるから、なんとかなっているのかしらね。」

OB「いまはインターネットで買い物できるからね。」

OA「外国に暮らすってたいへんよね。わたしにはできないわ。」

OB「わたしも。」

OC「ちょっとだけならやってみたいけど・・・・」


つづく


とーます
おくさまA「ねえ、おくさま」

おくさまB「なあに」

OA「こないだプレスリリースされた法務省発表の『平成26年末現在における在留外国人数について(確定値)』ご覧になりまして?」

OB「見たわよ、見たわよ。」

OA「リーマンショックで一時的に在留外国人が減っていたけどまた少しずつ増えてきているじゃない?」

OB「日本全体でいうと日系ブラジル人が激減してるわね。ピーク時は31万人いたのに今では18万人、半分近くになっちゃったわね。」

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OA「なのに外国人全体としてはじわじわ増えてる。中国、韓国・朝鮮はほぼ横ばい。フィリピン人がじりじりと増えてるわね。それと劇的に増えているのが、ベトナム人とネパール人。」

OB「宮城県もベトナム人とネパール人が急増していると聞いたわ。なんでも、日本語学校の学生さんが増えたんですって。」

OA「仙台駅のペデストリアンデッキを歩いていてもベトナム語をよく聞くようになったわ。日本語学校の学生さんも留学生なんですってね。」

OB「むかしは『就学』という在留資格だったわ。いまは日本語学校も大学もみんな留学生。」

OA「宮城県のことですけど、仙台にいくつか日本語学校があって、東日本大震災前はどこの学校も学生のほとんどが中国人だったのよ。ところが、震災によって状況がすっかり変わってしまったわ。原発事故の影響を恐れたり、日中間の情勢の悪化や円安の影響もあるかもしれないわ、ほとんど中国人が仙台の日本語学校に来なくなってしまったみたい。」

OB「それに代わってベトナム人とネパール人が入ってきたというわけね。」

OA「ベトナム人は、技能実習生もたくさん入ってきているわ。例えば、水産加工の現場は以前は中国人実習生が圧倒的に多かったのに、いまはベトナム人やインドネシア人が増えているわ。技能実習生の人数も、既に震災前より増えているみたいね。」

OB「震災復興需要に加えて、オリンピックの建設特需、高齢化、労働者人口の減少などなどさまざまな理由がからみ合って、いずれにしても人手が足りないというのがいまの日本ね。それを受けて日本政府は、技能実習に介護や惣菜加工といった業種を追加したり、受け入れ人数枠を増やしたり、技能実習期間を延長したり、いろんな措置をとりつつあるわね。」

もちろん、まだまだ立ち話はつづく。


とーます(おのこ)

 先日、別ブログでご紹介したJ.F.モリスさんのインタビュー記事、大きな反響を呼んだようです。我々の業界関係者にのみならず、一般の方々にも随分と広がり、支持されたようです。

 同じハフィントンポストで今度は気仙沼のフィリピン人コミュニティグループ、「バヤニハン気仙沼フィリピーノコミュニティ」がインタビューされたようです。私たちMIAも震災後、様々な局面でともに歩んできました。とてもいいインタビュー記事ですので、どうぞみなさまにもお読みいただきたく思います。

ハフィントンポスト、インタビュー記事
「私の家はここ、家族もここ、私がいる場所もここだから」気仙沼で被災したフィリピン人女性たちの思い


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とーます
※例えば、震災直後に行った「外国人の立場から東日本大震災をふりかえる会」気仙沼編(2011年6月9日)にはこのバヤニハンのメンバー(当時は結成前でしたが)がたくさん集まりました。当時の倶楽部MIA記事も見てね。

きゃりーより愛をこめて

火曜日は「MIA日本語夜間講座」第1期の修了式がありました。

今学期は20回のクラスに休みなしで出席した方がお一人いました。

仕事を終えた後、毎週休みなく勉強しに来るというのは、なかなか大変だったと思います。お疲れ様でした。

皆勤賞の栄誉を称えようということで、文字通り、たいそうツマラナイものなのですが、MIAにあった、あるイベントのノベルティグッズのタオルを進呈しました。

T先生がそのタオルのラッピングに一工夫をしてくれまして、もらったKさんもにっこり。

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ちょっとラッピングをアップにしてみると・・・

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T先生ご自身の顔写真(!)・・・ではなくて、きゃりーぱみゅぱみゅが、Kさんの努力を労ってくれています。

Kさんに、「これ、誰だかわかりますか?」と聞いたら、
「はい、きゃりーぱみゅぱみゅ!」と、しっかり発音できていました。感心感心。

日本語夜間講座は、2週間お休みして、4月7日から新学期が始まります。

現在、受講生を募集中ですので、たくさんの方のお申込みをお待ちしています。

詳しくは、広報用のチラシ(PDF)でご確認ください。
日本語講座チラシ(日本語
日本語講座チラシ(中国語)
日本語講座チラシ(韓国語)
日本語講座チラシ(英語)

(OZ)

 

お荷物になりたくない

 国連防災世界会議が終わりました。会議期間中、仙台駅の構内やその周囲は明らかにふだんより外国人が多かったように思います。ぼくが個人的に漏れ聞いた話では特に大きな混乱もなく、無事閉幕したという感じでしょうか。ある筋によると、とある外国人が仙台の気候を事前に確認しなかったのか半袖でお越しになり、寒さに打ち震えながらあるところを指さして、「あの服を売ってほしい!」と仰ったようです。指の先にあったのはクリーニング屋さん。そんな「異文化体験」はいろいろあったでしょうね。

 さて、わたしたちは3月14日に終わりましたが、翌15日には隣組の仙台国際交流協会(SIRA)のパブリックフォーラムがありまして、ぼくも参加してまいりました。MIAやSIRAのパブリックフォーラムには全国の同業者(自治体国際化協会)のスタッフも多数お見えになりました。せっかくお越しいただいた全国の協会の方々との貴重な意見交換の場ということで、SIRAさんが音頭をとって昼食会が行われました。SIRAのKさん、ありがとうございました。

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 この昼食会が滅法面白かったです、予想通り。中越沖地震を経験された柏崎国際交流協会のSさんが、避難所にいらしたイスラムの方のこんなエピソードを話されていました。

「あなたたちはイスラムだから豚肉を食べないんですよねなどとお気遣いをしていただくのはありがたいのですが、こんな混乱状況でそれはなんだかとても申し訳ない。そんなに気を遣ってもらわなくても、配給されるものを見て、食べられそうなものを自分たちで判断しますから。」

 知識として、イスラムの方はブタを食べないというのは知っておくに越したことはないでしょうが、先回って気を遣い過ぎることが逆に相手に負担感を与えたり、居心地悪いをさせるということもあるということ。

 そういえば・・・

 ブラジル人留学生のKさんは、東日本大震災直後、避難所(だったかな、研究室だったかもしれません)で配給されたおにぎりを受け取れなかったと言っていました。「わたしよりたいへんな思いをしている人がたくさんいるから。お荷物になりたくないって思ったの。」

 「いえいえ、あなただって被災したのですよ」と話しましたけれど、お荷物になることに殊の外鋭敏になるのは、外国人だからということも少なからず関係しているようでした。

 もうひとつは、外国人支援を俯瞰でとらえる重要性のこと。我々はお仕事として在住外国人支援を行っていますが、被災者支援という全体から見れば、それはごく一部でしかないわけです。だから、適切な「声のボリューム」がきっとあるでしょうというおはなし。最近、特に外国人散在地域での支援について思うのですが、むしろその地域の災害対策本部なり災害ボランティアセンターなりの一機能としての多言語支援体制、通訳ボランティアの方が情報の一元化という意味でも無駄な労力を省くという意味でも過不足がないのではないか。あ、これはあくまで個人的な観点です。

 ただでも冗漫なブログが、震災ネタになるとより一層歯止めがきかなくなります。ゴメンナサイ。昼食会参集諸氏にお礼とお詫びをば。


とーます

※みなさん義理堅くておみやげまでお持ちいただきました。ありがとうございます。こちらは秋田県国際交流協会のTさんから。名古屋国際センターのTさんもありがとうございました。名古屋のは食べちゃったので写真なし。あしからず。
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トラディショナルパンツ

春霞 
視界が霞む
目が痒む

 尋常じゃない量の花粉が舞っているらしく、できることなら眼球を取り出して丸洗いしたい今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?へっくしょー。

 国連防災世界会議パブリックフォーラム《3.11被災地に暮らす外国人住民の声》終了後のおはなし。登壇者のみなさんとMIAスタッフとで昼食会をしました。登壇者Mさんご贔屓のフランス料理屋さん。

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海鮮ビストロ ヤマライ 一番町 ワンプレートランチ

 さっきパブリックフォーラムが終わったばかりの解放感、疲労感とおいしい食事のおかげで会話がバウンドしまくります。ぼくが、メンズレギンスの話をしたのがまずかったのかな。

「むかしは股引といったものがいまではメンズレギンスと呼ばれているんすよ(これ実話)。」

 この話にMさんが食いつきました。

「これもお食事時の話じゃないけど・・・むかし、わたしが日本人の国民病にかかって入院するとなったとき、入院にあたっての準備物の中に『ふんどし』が入っていました。もちろん、持ってない。だから、とりあえず近くのデパートに行って探したのね。『ふんどしありますか?』って。そしたら、店員が最初はよく分からないという顔をしてたんだけど、少しして『ああ、トラディショナルパンツですね』と言うわけ。こっちも『なにそれ?』って思ったんだけど、持ってきた商品にたしかに『トラディショナルパンツ』と書いてあるんだよ。なんだよ、それ!」

 オーストラリア出身のMさんに分かるように「トラディショナルパンツ」と説明したのではなく、トラディショナルパンツという商品名のふんどし。

 こんなお話を延々バウンドさせつつ、ワンプレートディッシュをデリシャスにイートしました。

 Mさん、素敵なお店とステキなエピソードのご紹介、さんきゅーべりまっち。なんだ、この千昌夫みたいな終わり方。

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メンズレギンス愛用者、とーます


MIAの国連防災世界会議

3月14日(土)。始発の新幹線で出勤。在来線のように5時台から動いているわけではないので大したことではありませぬ。

7時40分、MIA到着。だれもいない事務所。メールを確認する。特に問い合わせもなし。

8時、MIAのふたりのスタッフが相次いで事務所入り。準備物は前日にすべて整えたはずではあるが、忘れ物がないか、抜けがないか、めしはまだか、不安である。

8時10分、事務所の電話が鳴る。予約のタクシーが到着とのアナウンス。慌てて荷物を抱え、階下へ。

8時20分。道路は全く混んでいない。情報筋からは、ジャズフェスの4倍の人出があるとか、警察からは市内各所で一時的な通行止めがあるとか、さんざん脅かされていたので、早めに動いたら、早く着く。まだ会場にも入れず、パブリックフォーラム事務局のスタッフの方々とともに会場入口で待ちぼうけ。あるひせっせとのらかせぎ・・・ 

8時30分、開場。我らが会場401会議室前に移動。会場の入口は施錠中。45分に5階「教養室」にて主催団体代表受付すべしとのお達しでそれまでは手持無沙汰。

8時45分、401会議室の鍵が開く。準備開始。MIAスタッフがぱたぱたと動き出す。英語の通訳をお願いしていたボランティア、登壇者も続々と現れる。謝金、交通費を渡したり、なんだりかんだり走り回る。

9時。登壇者ひとりを除いて全員がそろう。そのひとりが、パネルディスカッションの進行者だからたまらない。慌てて電話してみると、「あと4分で着く」と息せき切っている。5分はかかると踏む。ひとは蕎麦屋になるものさ。

9時5分。登壇者と英語通訳者たちは控室の和室へ。パネルディスカッションの下打ち合わせ。登壇者はこの1時間で話す内容や方向性を確認する。とても大事な時間。進行役抜きで自己紹介が進む。

9時15分進行役Mさん到着。息が切れている。「(MIAスタッフ)Oに怒られる」と舌を出す。元気そうだ。これなら心配ない。和室へ誘う。

9時20分。既に会場前のエレベーターホールには10人以上の人が待っている。とりあえず来場者がふた桁になりそうだとほっとする。担当としては、50人来たら道頓堀にダイブはしないけど、それくらい嬉しいかなという腹積もり。根拠は全くない。会場キャパシティの半分は来てほしいな、そうすればパラッパラのスカスカには見えないだろうな、ただそれだけ。

9時30分、開場。エレベーターが4階にもピストン輸送している。ぼくは特段用事もないのに、まるでルンバのように会場内を無意味に駆け回っている。足の裏にモップをつけておけばよかった。

9時45分。とりあえず準備していた50部の資料がはけそうになる。さらに50部の資料セットを準備。ひとの流れはきれない。知った顔も多数お見えになるが、知らない方も随分とお見えになっている。もしやこれは・・・

9時55分。会場がほぼ埋まりつつある。スタッフ用の椅子を供出。そろそろ資料が底を尽きる。ということで、通訳のみなさんに渡していた資料を回収し始める。

10時、開始。ひとはまだ陸続と。いよいよ席も資料もなくなり、エレベーターホールの三連ソファを担ぎ運ぶ。会場は人いきれで暑い。

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10時2分MIAからの説明。震災前後の外国人登録者数や属性、また震災後のMIAの取り組み。わずかな空き席に来場者を誘導する。スタッフの荷物置きの椅子も音響担当机にあった椅子も全部供出。足りない。資料は完全にない。

10時18分。パネルディスカッションスタート。パネラーがさっきまで座っていた椅子もすべて遅れてきた来場者が温め直す。定員100名は超えた模様。物置がつぶれる・・・

パネラー5人によるお話をここに再現することは到底ぼくの及ぶところではない。ぼくは、パネラー5人それぞれからすでに1度や2度、ひとによってはそれ以上さまざまなお話を伺ってきたが、今回はそれをなぞるエピソードもあったし、初めて聞くエピソードもあった。


例えば、震災数日後の停電中、高層階に住む高齢者に水を届けるボランティア活動のおはなしをしたのはネパールのアルンさん。
「外国人に助けられるとは想像もしていなかったみたいで、どう反応していいか分からなかったのでしょう。相当戸惑っていた。でも、何回か続けると、そのお年寄りから『あなたたくあん食べるの?』なんてお茶を出されました。」
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例えば、石巻で独居老人などの買い物を代行するサービスや同じく独居老人の見守り隊を立ち上げた韓国出身の梶原美佳さん。
「石巻だから、『刺身食べたい』と言うのね。そして、刺身とくればお酒。震災後、それはなかなかおおっぴらに言うこともはばかられるのですが、でも食べたいですよね。」
「最初外国人のスタッフは玄関ベルを押したあとに『見守り隊の某某です』とすらすらと言うことができなかった、怖くて、緊張して。でも、この活動を通じて自信と度胸がついたのか、今ではみんなフルタイムの仕事についている。」

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中国出身の小関一絵さんは、大使館からの要請で新潟空港の中国政府チャーター便に乗って帰国したい同胞のために、宮城県から新潟までの足の確保に奔走した。「私はバスの手配をしただけですが、この活動は私にとっても思わぬ再会があったりとうれしいことも少なくなかった。」この「だけ」がどれだけの同胞のためになったことか。
一方で、小関さんもまたふたりの子どもを持つ母でもある。「日本の学校の防災教育はすばらしいと思う。震災当日の夜、息子たちがブレーカーを落としたり、お風呂やバケツに水をためたり、家中の電池や電灯を集めたり。私には思いつかなかった。」

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フィリピン出身の軍司マリヴェルさんと進行役兼務のJ.F.モリスさんは、それぞれの新聞記事を以てダイジェストの代わりとしたい。

軍司マリヴェルさんの特集記事(河北新報)

J.F.モリスさんのロングインタビュー(ハフィントンポスト)



 ありきたりな結論に安易に近寄らず、あくまでも多様な体験と多様な考えをお伝えすることとしましたが、いかがでしたでしょうか?

 ご協力いただいたみなさまに感謝申し上げます。また、ご来場のみなさま、ぜひご感想をお聞かせください。メールでいただいてもいいですし、電話でも。どこかでご一緒したときでも。

 担当としては少しほっとしました。が、まさに国連防災世界会議の幕開けとともにバヌアツ、ツバルに大災害がもたらされました。我々は次は何をなすべきでしょうか?


とーます

 登壇者紹介の最終回です。ネパール出身のアルンさん。

 今回の登壇者で、唯一アルンさんだけは家族構成が違います。ほかの4人は日本人と結婚されていますが、アルンさんは奥さんもネパールの方です。お子さんの難病治療のために日本にお越しになったと聞いています。

 当協会では外国人講師を小中学校等に派遣するプログラムを実施していますが、アルンさんにはここ数年、かなりの数のプログラムにご協力いただいています。以前のブログでも紹介した気仙沼への一日がかりのプログラムでもたびたびご一緒しています(ぼくは運ちゃんです)。そのときに、震災後のことも少し聞いていました。

 まず、いまも治療を続けているお子さんのことですが、震災後停電のために日常的に行っている治療が困難になったそうです。幸い大事には至らなかったようですが、震災後は例えば透析ができなくなった、薬が切れて困ったといった話は、日本人、外国人の別なくたくさんありましたからねえ。

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 それから、来日後日本語を学んでいたときにたまたま「男の台所」というシニア男性の料理サークルと知り合ったことがご縁で、震災後に炊き出しのボランティア活動にも何度か参加されたそうです。また、ガレキ撤去などの個人ボランティアにも何度か出向いたと言ってました。MIA日本語講座の受講生などからも当時ボランティア参加の話はいくつか聞きましたし、地域に住んでいる外国人もごく自然な気持ちでボランティアに参加されていたように思います。

 気づけば、今週末に迫ってまいりました。このような5人の方々からどんなお話が語られ、どのように共鳴するのでしょうか。事務方としては、最後の準備を万端に遺漏なく進めていこうと思います。


とーます

うろこがポロリ

日曜日、「MIA日本語ボランティアセミナー」が開かれ、55名の方にご参加いただきました。

今年は、AJALTの品田潤子先生に、
「教室活動を再考するー実生活と結びついた日本語学習支援を目指してー」
というテーマでお話しいただきました。

学習者の社会参加につながる日本語学習支援活動のやり方として、

・対話中心(学習者と支援者が対話を重ねて関係を築く)
・社会サービスの利用(緊急事態の対応や、各種公共サービスなどが利用できようになる)
・共同作業(イベントの準備や何らかの活動・作業を日本語を使って行う)

という3種類の学習活動についての説明があり、いくつか具体的な活動例の紹介もありました。

参加者のアンケートを見てみると、
「このような支援の方法もあるのだと目からウロコが落ちた」
という「ウロコが落ちた」系のコメントがたくさんありました。

そういえば、会場の床が落ちたウロコでキラキラしていました。(・・・嘘です)

なかには大事な「ウロコ」もあるかもしれませんが、古くて不要な「ウロコ」はどんどん落としていいと思います(笑)。

これまでの活動に悩みを抱えていた方や、従来型の活動に終始していた方が、今回のセミナーで「ウロコ」をポロリと落として、紹介してもらった新しいアプローチを実際に取り入れてくれれば、とても嬉しいです。

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(OZ)

畑がしたい

 当協会が運営している「みやぎ外国人相談センター」では、英語、中国語、韓国語、タガログ語とポルトガル語で相談対応をしておりますが、当然のことながらいろんな方からいろんな相談が来ます。

 さきほどお受けした中国語人Gさんからの相談。

「畑を借りて野菜を植えたいのですが、どこで畑を借りられるのでしょうか?」

 日本人の夫は仕事が忙しくてあまりあてにできない、ということでこちらにお問い合わせがありました。

 まずは、インターネットで検索。Gさんがお住まいの町では、役所が無料の体験農園を提供しているという素敵な情報をさっそく見つけました。ほかにも、一般の方が有料で畑を貸しているという情報もありました。役所に内容を確認したうえで、Gさんに折り返しお電話。

「わあ、うれしい。じゃ、旦那に電話してもらいます。」

 聞けば、Gさんご自身は日本語は得意ではないそうです。

 地域に暮らす外国人が、地域で畑を借りて、農作業を始める。おそらくはそこで様々な交流が生まれますね。農家のおじさんにやり方を教わったり、道具を貸していただいたり、中国の野菜を作ってそれを地域の方にご紹介したり。結果として、地域との交流や社会参画に繋がります。

 こういう情報もまた外国人にとっては得難いものであり、且つ、地域にとっては交流を生み出すきっかけになりうるのだなあ、と本日の学び。

 いつか、かわら版で市民農園、体験農業の特集でもやってみようかな。

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とーます
※「そこには木を植えられますか?」とGさんから聞かれたので、1年契約の畑ですからねえ・・・とお答えしましたが、何の木を植えたかったのでしょうか?
※このキャラクターは栗原市の「ねじりほんにょ」です。もとは、栗原市で昔から行われている稲刈り後の稲穂の杭掛けです。「ほんにょ」は「穂仁王」が転じたものといわれています。

春なのに冬物コート

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 春ですね。庭の雪が解け、我が家の犬と山羊もなかよく日向ぼっこをしている時間が増えました。

 昨日などは、仙台も昼間10度くらいまで温度が上がって、コートを着ていると汗が出てきました。

「そろそろコートを変える頃だよな、でも待てよ・・・」

フラッシュバック。あの日、15時過ぎから仙台にも春の雪が盛大に舞っていました。灯りが消えた街に春の大粒の雪ゆきユキ。新幹線も高速バスも全部動かないことが分かったので、早々に諦めて仙台駅前の東二番丁小学校で一晩を明かしましたが、数日前に「もう春だから」と冬物の分厚いコートから薄っぺらいヤッケに切り替えたばかりでした。スーツの上に薄っぺらいヤッケだけ。暖房もない小学校の教室雑魚寝を耐えられたのは、毛糸の帽子がまだカバンに入っていたからだと思います。夜通しイヤフォンでラジオを聴いてました。「荒浜の海岸に200人の遺体が打ち上げられた模様です・・・」なんことやらさっぱり理解できませんでしたし、一晩中同じような情報ばかりでした。いまになってみればそれも分かります。あの日の夜はメディアだとてたいした情報が収集できなかったのでしょう。

 多言語情報で思うことがあります。大災害発生直後、例えば3.11当日の夜のような状況であれば、メディアや公的機関から被災地、被災者に提供できる情報はせいぜい発生した地震の震源地、規模といった初期情報以外、特にないのではないか。供給できる状況にないのではないかと思うのです。個人レベルを鑑みれば、とりあえず身の安全が確保された後に欲しくなるのは、家族の安否や自宅の被災状況、それをクリアすると次は衣食住の諸問題といった極めてパーソナルなことで、語弊を承知で言えば、世の中に起こっていることはとりあえず「二の次」ではないかと思うのです。こう考えた時、多言語情報提供もまた同じで、とりあえず何が起こっているのかを知り、避難する必要があるのか、どこにどのように避難すればよいのかを判断する材料さえあれば、それで十分。いいえ、それが精一杯ではないのかと思われるのです。そしてそうであるならば、外国人も初期情報だけで次の行動を判断できるだけの防災知識を予め得ておくべきでしょう、自助のために。

 ともあれ、衣替えはお彼岸過ぎかなあとひとりごちる、間もなく丸四年の本日。


とーます

お経をあげる

 当協会多言語情報誌「かわら版」は、目下「人生の終末」シリーズが続いており、現在その第四弾にして最終回の原稿を各訳者に翻訳して頂いている最中です。

 ポルトガル語の翻訳者Vさんから、問い合わせがありました。

「僧侶にお経をあげていただき、焼香をします」この文章の意味が分かりにくいので、説明してほしいといった内容でした。

 一瞬、「え、これそんなに難しいかしらん?」と思ったのですが、冷静に考えてみたら、「お経をあげていただく」というのが、分かりにくいのかもしれないと気づきました。「お経をあげる」ってなんじゃらほい?

 たしかにたしかに。この「あげる」は「ぎぶみーちょこれーと」の「あたえる、さしあげる」の意味でもないし、ましてや上下左右の方向の話でもなく、どちらかといえば「供物を供える」の意に近い「あげる」だなと気づいた次第でございまして。

 翻訳者が翻訳しやすいように、日本語の説明もあれやこれや考えて務めて平易に書いていたつもりでしたが、漢語を和語にすれば平易というわけではないと改めて学びました。Vさん、感謝感謝。


 一方、英語翻訳担当のPさんからも質問。

「不祝儀袋とは何ぞや?封筒ではないのか?」

 たしかに封筒と同じ形状ですが、封筒とは言いません。そう思ってちょいと検索してみたら、「御祝儀袋」「不祝儀袋」以外にも「月謝袋」「給料袋」「おふくろ(ごめんなさい、どうしても書きたくなってしまってついつい・・・)」などお金を入れると「袋」になることばが少なからずありますねえ。金融機関では「現金封筒」なる用語もあるようですが、あまり人口に膾炙していませんよね。「ATMの脇に置いてあるお金を入れる袋」と説明する気がします。

 Pさんにも感謝感謝。


とーます
※適当な挿絵が思いつかず、文字のみでお送りしました。次号に挿入する「不祝儀袋」の絵を載せようかと一瞬思いましたが、いらないっすね。
※結婚式のスピーチの常套句「三つの袋」のパロディで、『池袋』『東池袋』『北池袋』という池袋シリーズや『手袋』『レジ袋』『ゴミ袋』といった生活感漂うヴァージョンなどいろいろあるんですね。「袋」ということばはなかなか達者なことばでした。

市町村日本語教室連絡会議

先日、市町村日本語教室連絡会議が開催されました。

この会議は、県内の日本語教室のネットワーク促進を目的として、年に1回開催しているものです。

今年のテーマは「防災」。

私たちMIAが作った、外国人向けの防災研修のプレゼンテーションを各教室の支援者の方々に実際に体験してもらい、
 「これ、皆さんの教室でも使ってみませんか?」
または
 「MIAが出向いて、皆さんの教室で研修会をしますよー」
という提案をするためのものでした。

県作成のガイドブックを基に新たに作ったものと、これまでMIAの事業で使っていたデータを再構成し、本邦初公開(!)のプレゼンテーション。

パワポでの説明や、チェックリストを使ってのディスカッションといった内容になっています。

体験後、皆さんからは
 「写真、イラストが多用されていて見やすい」
 「ルビが必要」
 「津波の高さが実感できるような情報がほしい」
 「もっと避難所の生活での厳しさが伝わるように」
などなど、いろいろなご意見をいただきました。

全体的に、
 「地震・津波の脅威や被災後の生活の厳しさが、もっと切実に伝わるもののほうが良かったな」
というのが、やってみた私の反省です。

なにしろ、多くの教室で
 「東日本大震災を知らない学習者が多くなっている」
とのことなので(そうなんだ!)、まずは、あの震災の凄まじさを感じてもらうことが必要なようです。

今後、今回伺ったご意見・提案を参考に、データに修正を加えて多言語化し、県内の日本語教室で活用してもらうようにする予定です。

完成まで、もう少しお待ちいただければと思います。

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(OZ)

 

 気づけば来週末に迫ってまいりました、国連防災世界会議。登壇者のご紹介もあとおふたりです。

 小関一絵さんは現在、当協会で運営する「みやぎ外国人相談センター」中国語相談員としてもご活躍いただいております。元々は中国の歯医者さん。日本人の夫と知り合ってご結婚され、それからずっと仙台にお住まいです。

 震災直後、小関さんは一本の電話を受け取ります。東京の中国大使館からでした。「邦人保護のために、中国から新潟に臨時の飛行機を飛ばせている。が、被災地から新潟までの移動手段が確保できない。協力してもらえないだろうか?」

 小関さんは、そこから県内のバス会社を虱潰しに当たり、どこからもガソリンがないことを理由に断られます。続いて、隣の山形県のあるバス会社に電話したところ、初めて「なんとかしましょう」ということで、一大プロジェクトが動き出しました。当時の様子がいくつかのサイトで紹介されています。

駐日中国大使館のサイト

新華網

サポセンかわら版(これは日本語です)

 震災後の3月某日、新潟のある体育館には中国人が数千人待機していたという話も聞きました。被災地各地から小関さんらが手配したバスに乗って新潟まで来たものの、今度は飛行機の手配、登場手配が間に合わなかったということだったのでしょうか。たいへんな混乱でしたし、私たちの相談対応においてもこの「新潟行のバス」について、何度ご案内したことか。

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※3月15日ごろのMIA震災関連情報掲示板。真ん中上段に「外国バス」「中国」という文字が見えますでしょうか。

 このバスの手配がひと段落すると、MIAに災害時通訳ボランティアとしてお越しいただき、電話の対応などでお世話になりました。

 小関さんもまた、MIAが震災をともに乗り越えてきた「戦友」のひとりなのです。


とーます

年度明け早々、MIAと南三陸町国際交流協会との共催で「MIA日本語ボランティア養成講座」を開催します。

同町の日本語教室は、休止状態だったのものが震災後に再開し、その後、着実に活動を続けてきました。

この講座は、その教室で外国人の日本語学習をお手伝いする支援者を養成するためのものです。

お近くにお住いの方で、ご関心をお持ちの方は、ぜひご参加ください。


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(クリックするとPDFファイルが開きます)


で、この講座は、同町国際交流協会の理事で、台湾出身のKさんからのご要望を受けて開催することになったのですが、そのKさんのことが先日の朝日新聞で紹介されていました。

>>「中国語の語り部、南三陸に 台湾の支援に恩返し」

この訪問団が来日する直前に電話で話した際は、
「お手伝いするんですけど、すっごく緊張してるんです・・・」
とちょっと心配気な様子だったのですが、本番では「語り部」としての大役をバッチリ果たしたようです。

Kさん、良かったねー。

以前から「準備のために勉強している」と聞いていた、中国語の「語り部」の活動が、いよいよスタートしたんですね。

台湾を始めとした中国語圏の人たちと南三陸とのつなぎ役として、今後ますます活躍されることを期待していますよー!

(OZ)

 弥生三月です。2015年も約16%が過ぎていきました。想像通り、2015年も相当なせっかちです。

 さて、年度末ということでどこか忙しない空気がMIA事務所内にも漂っておりますが、そんなさなかFAXが届きました。送り主は『みやぎ「青い目の人形」を調査する会』のSさん。

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 「青い目の人形」ってご存知でしょうか。同会のホームページ『「青い目の人形」ってなぁに?』に詳しい説明があります。戦前、日米友好のシンボルとして日本に送られたのが「青い目の人形」です。その背景には第二次世界大戦前夜のアメリカでの日系移民排斥の動きがありました。全部で1万2千体以上が日本に贈られ、そのうち宮城県に届いたのは221体。それらは、小学校、幼稚園、保育園などに贈られました。宮城県からは返礼として「ミス宮城」という人形がアメリカに贈られました。

 その「ミス宮城」が宮城県に「一時帰国」するのだそうです。


ミニ企画展「お帰りなさいミス宮城 答礼人形と青い目の人形」
平成27年5月1日(金) - 5月6日(水・祝)
9:00 - 16:45
仙台市歴史民俗博物館
※このミニ企画展は無料ですが、入館料がかかります。


 会期中には、宮城県に現存する10体の「青い目の人形」のうち、4年前の震災で被災した「ナンシーちゃん」も「友情出演」します。東松島市矢本の薬局で保管されていたナンシーちゃんは、津波で浸水しましたが、なんとか「救助」されました。しかし、残念なことに「目が開かなくなった」そうです。

 ゴールデンウイークの予定のひとつにいかがでしょう?ぼくは俄然行ってみたくなっています。


とーます
 

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