指先の負傷で思うこと

 前メールでおちゃらけて書きましたけど、1月1日にタマネギのみじん切りをしていたきに、おかしな指の置き方をしていたことの罰が当たりました。親指の先が数ミリなくなりました。血がいっぱい出ましたけど、不思議とそれほど痛みはなく、当日の夜、止血のために輪ゴムで指の第一関節付近をぎっちり縛っていたのが少し痛かったぐらい。ガーゼを厚めに巻いて、いっつも「グー!」な左手で1週間を送っております。おかげさまで日常生活が劇的に不便になりました。元々絵に描いた不器用で、不器用自慢させたら千夜一夜球児好児げろげーろ状態なんですけど、いちおう靴紐も結べるようになりましたし、ボタンも右と左の位置がずれずにかけられるようになったし、あまつさえネクタイもひとりで結べるようになったのに・・・2015年となったその日の夕刻から、それさえも怪しくなっております。愚息に背中を洗ってもらい、妻にワイシャツの左腕や首元のボタンをかけてもらい、プチ介護状態です。

 こんな一週間を送ってみて、情けないのは忍ぶことにしても、何かの状況に重なるような気がしていました。なんだべさなんだべさとどんぶらこのリズムで考えていたら、はたと気づきました。外国にいるときの感覚です。それも旅行ではなく、日常生活を外国で送っているような感覚。MIAで働く前、某社で貿易稼業を数年、その後フリーランスでずいぶんしばらく放浪的不安定稼業に従事しておりましたが、おしごとの関係で例えば1か月ぐらい外国(といってもぼくの場合、いつも中国・香港、ときどき台湾でしたが)で生活するときがありました。中国語はとりあえず生活に困らないほどはできるので、その点はあまり大きなストレスを感じた記憶はありませんが、それでもふわふわした日常でした。

 おしごとしているときは外国だろうと日本だろうとあんまり関係ありません。もちろん、その土地に特有の文化、風習、決まり事はありますけど、それはそれ。おしごとから解き放たれた日常の時間が困るのです。食事、買い物、お金の出し入れ、余暇、雑事・・・日常生活のどれもこれもが日本にいるときのようには運ばないのです。「あ、醤油欲しい」と思ったときに、どこに買いに行けばいいのか、そもそも売っているのか。ひとつひとつはとても小さな事柄でありながら、外国での日常生活はこういうギャップを確認していく作業といえるかもしれません。日本では意識することさえなく普通にできていたことが、外国で暮らした途端、できなくなる、或いは予想外に手間暇がかかる。日常が意識化されるといってもいいかもしれませんね。日本の感覚に縛られていることに否が応でも気づかされるわけです。

 これで消耗するような気がします。気が萎えてくると申しますか。日常生活はもう少し何も考えずに淡々と送りたいよなあと。これにことばができないとなおのことですね。やりたいことがやれることなのか、まかり通ることなのかさえ確認ができないわけですから。

 じゃあ、日本国内の知らない街に引っ越すのと外国で暮らすのと、どれくらいの差があるものか。知らない街には当然土地勘がありませんから、どこに安いスーパーがあるとか、ご近所さんはいい人たちかとか、近隣の学校の評判はどうなのかとか、そういうことが手さぐりになります。まあでも、どこに行ってもコンビニエンスストアや某大型スーパーマーケットはあるでしょうし(限界集落的中山間地等は除く...?)、公的サービスはほぼ日本国内共通でしょうし、方言という差異はあってもコミュニケーションに支障をきたすほどではないでしょうし、せいぜいそのごくわずかな差異を別天地の白地図上に少しずつ埋めていくような作業を半年も行えば、生活上著しい困難を伴うということはないでしょう。良くも悪くも日本国内はどの街も似たり寄ったりです。

 本日の由無しごとはここまでにしとうございます。健康がいちばんというおはなしでした・・・

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※昨夜の月。恐ろしいほどの美しさでした。


とーます

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このページは、MIAが2015年1月 7日 09:31に書いたブログ記事です。

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