2014年10月アーカイブ

国際交流まつり in わたり

食欲の秋、読書の秋、芸術の秋、そして、イベントの秋。
前の記事に続いて、私からは「国際交流まつり in わたり」の参加レポートを。

「国際交流まつりinわたり」は今年で12回目の開催となり、この種のイベントのなかでは「老舗」です。

15の国と地域の方々がステージパフォーマンスやブース出展などで参加していたのですが、このように一度に「多文化」に触れることができるイベントは、県南地域では他にはありません。こうした大規模なイベントを継続して開催している、主催の「国際交流協会わたり」の方々の努力に敬意を表したいと思います。

「いやすこ」(注:方言で「食い意地が張っている人」の意(笑))の私が、今回、舌と胃袋で味わった「多文化」は・・・
 ・韓国のチヂミとチャプチェ
 ・スリランカのカレー
 ・カナダのアップルサイダーとパテをパンに乗せたもの
 ・イランのノンアルコールビール
 ・タイのパッタイ(焼きそば)
 ・フィジーのクッキー
 ・日本のはらこ飯
でした。

もちろん、お土産として持ち帰って自宅でいただいたものもありますが、さすがに少々カロリーが気になったので、美味しく味わった後はプールで一汗流して、「スポーツの秋」も実践したのでありました。

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民族衣装のファッションショー

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インドネシア人留学生のブース

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会場入ってすぐのところにはモンゴルの「ゲル」が設置されていました

 

(OZ)

 

芋煮会


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お久しぶりです。MIAで若さを担当している34です。

先週の日曜日(19日)は毎年栗原市国際交流協会主催で行われている

「芋煮を囲んで国際交流」に参加するため、人生2回目の栗原市若柳への訪問でした。

あまりにも綺麗な風景で思わず写真を撮りまくり、その中何枚かを共有させていただきたいと思います。




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今まで芋煮会には5?6回くらい参加したことがあり、

友だちから「味噌派?醤油派?」と聞かれたとき、いつも「醤油派」と答えてましたが、

今日の芋煮(味噌味)がとても美味しかったので、これから「どっちも好き」と答えないとなーと思いました。



肉が赤色から灰色に変わるまでステージの前では『餅つきパフォーマンス』が!!

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私も参加してみました。餅つき初体験です。

お姉さん(?)の手が挟まれないよう気をつけてよいしょっと




↓ずんだ餅完成♪

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(中国出身の方々と)

この日は良い天気に恵まれ、大変楽しく、

有意義な時間を過ごすことができました。




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イベント終了後、会場の周りを見まわしてみました。

伊豆沼サンクチュアリセンター隣のラムサール公演広場というところですが、




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8月の「はすまつり」シーズンに来ると、ここが全部蓮のピンク色に染まるらしいです。

船に乗ってゆっくり蓮を眺めることができるんだそうです。わーお

その時また来てみたいです。。



34

Have a safe trip??

今日の午後、タガログ語相談員のMさんのもとに、ドイツ人研究員が訪ねてくることになっていました。震災後のフィリピン人コミュニティーの動向についてインタビューしたいとのことでした。

が、約束の時間の1時になっても来ない。
10分経っても30分経っても1時間経っても来ない・・・。

結局、いらっしゃったのは、私たちが約束そのもののことを忘れかけていた3時頃のことでした。
予定の電車に乗り損ねたのだとか。

でも、確か夕方に南三陸でAさんに会う予定になっていると言っていたような気がしたので、スケジュールを確認すると、
「出来れば今日中に南三陸に行きたい。でも交通経路はよくわからない(できればパスがあるのでJRを使いたい。)宿泊先も未定・・・」
とのこと。

「!!??それは大変!」ということで、インタビューそっちのけで、ウェブで移動経路を調べたり、南三陸のAさんに電話したりして、なんとか本人の希望に沿えるよう知恵を絞りました。

いろいろ検索したり調整したりした結果、結局は乗り換えのない高速バスを利用して、着いた先のバス停にAさんが迎えに来てくれるという、おそらく最も確実性の高い方法に落ち着きました。

ですが、日本語が殆ど出来ず、宮城に来たのも初めてとのことで、目的地まで辿りつけるか若干の不安が残り、余計なお世話かとは思いましたが、急遽「ヘルプカード」的なものを作ってお渡しすることにしました。

こんな感じです。
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・・・本人のサバイバル能力と、日本の方々の親切心を信じて、無事に南三陸に辿りつけることを祈りたいと思います。

(OZ)


 

フリハさんとマララさん

 当協会の機関紙、倶楽部MIAは隔月発行なのですが、毎月偶数月の間に、巻頭インタビューの取材を行います。今回は、現在東北大学で唯一のパキスタン女性留学生、フリハ・カリドさんにインタビューしました。

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 生まれたのはサウジアラビア、高校生のときにパキスタン・ファイサラバードに戻り、高校卒業後日本に来て、ちょうどまる2年。ちょっとシャイなフリハさんに1時間ほどたくさんのお話を聞きました。

 フリハさんにインタビューのお願いをした数日後に、マララさんノーベル平和賞受賞の発表がありました。フリハさんにもマララさんの受賞について尋ねると、「パキスタンも少しずつ少しずつ変わってきている。マララの受賞は、さらにパキスタン社会を変えていくきっかけになると思う。」と、歓迎のご様子でした。

 実のところ、この質問をするにあたってはいくつかの不安要素がありました。ひとつは、周りの人々からすでにさんざん同じ質問を投げかけられてうんざりしているのではないかという心配。ふたつ目は、パキスタン、イスラム世界では必ずしもこのニュースを好意的に受けとめていない向きもあるということ。みっつ目は、日本社会、もしくは欧米の社会は自分たちの尺度、価値観でイスラム世界を見ているけれど、それはどれだけの齟齬、ギャップがあるのかということ。ノーベル賞もまた欧米の価値観の所産であって、特に平和賞については様々な政治的な要素がからんでいるので、物議を醸すことも少なくないですよね。同国人だからということだけでみんながみんな喜んでいるわけではないかもしれないと思ったら、ノーベル賞のことを訊いてもいいものかどうかだんだん心細くなりました。ま、でも、えいやで訊いてみました。芳しからぬ反応があったとしてもそれはそれ。

 「マララの生まれ育った地域は、特に伝統的かつ保守的な考え方をしている人が多いと思います。ですが、若い世代は女性も普通に高等教育を受けるようになっていますから。」

 でも、高校の女子同級生で海外留学しているのはわたしだけかも、とフリハさんは少し照れたような笑顔でお話してくれました。

 倶楽部MIA12月号は11月末発行です。


とーます

まつりのあと

 宮城県国際交流員のペレズくんがすでにブログを書いておりますが、ぼくはぼくでせっかくレッグをバーにしていんたーなしょなるふぇすてぃぼーでなんだりかんだり活動してまいりましたので、別途書きまする。

 昨日は、快晴でございました。第29回東北大学国際祭り@三条中学校。去年は雨が降って、風が吹いて、さむいよおかあさーんな気持ちだったとだれかが言っておりましたが、ぼくはさっぱり記憶がなく、きっとビールですべて漱がれてしまったのでしょう。口から入ったビールが脳の中を通るとは知らなんだ、それともぼくの脳は胃の中にあるのか?ともあれ、昨日はあしぇばむふぉどのやうきじぇいがったいがった(胃液で脳が溶けたっぽい、汗ばむほどの陽気で良かった良かった)。

 天気がよければ何でもできる、天気ですかあ!と昔のヒトが言ったかどうかは知りませんが、とにかく大賑わいでしたことよ。

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日米国旗の間にMIAのロゴ、見えますか?

 MIAブースは、国際交流員を前面に出した絵に描いたような国際交流。でもね、絵に描いただけではつまらないと思いまして、ぺれず寅さんのほかにもかような仕掛けをやりましたところ、受けました。

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 写真機のシャッターを押すときに、「はい、MIAのチャーリーズエンジェルのみなさん」と言ったら、こんな笑顔で映ってくれました。失笑と苦笑と愛想笑いのあいだ・・・

 真ん中のオリビアは七ヶ浜町の国際交流員。ファイナルファンタジーのコスプレ衣装は自前です。ファイナルファンタジーというのがなんなのかについては、インターネット各社の検索機能をお使いください、ぼくには聞かないで。

 左は県教育庁のアンナさん。彼女の前には毛糸玉がいくつかありますが、別に「寒さこらえて編んでますおんなごころのー・・・」ではなくて、西部開拓時代に子どもが遊んだという毛糸の人形作り。子どもが喜んで作ってましたね。

 右は県国際交流員のターニャさん。彼女はアーティストなので、似顔絵を描くパフォーマンス。ぼくは完成品を見ていなかったのですが、すてきな似顔絵を持って帰れたあなたは運がよかった。

 今回は、MIAの多言語情報やら情報誌だけではなく、県の観光課にお願いして、多言語の観光パンフレットの類いをごっそりご提供いただきました。ニンジャトレジャー(英語、中国語、ハングル、タイ語)のパンフレットが好評でした。正直に白状すると、途中までこのニンジャが県内の観光地に出没しているものと思い込んでいました。ほんとにいればいいのに。県の観光課のみなさーん、外国人があれだけ集まるイベントですから、PRする場所としては最高ですよ。来年から、いっしょにブースやりませんか!?

 ぼくは、ブースの中にはあまりおらず、いえ、食べるのが忙しかったわけも少しはありますが、かつて日本語講座を受講されていた方や日頃MIAのおしごとにご協力頂いている方に次々とお会いしまして、やあやあ、やあやあ、やあやあ、とやーやーやーの連続でした。みなさん、ぼくの顔を覚えていてくれてありがど。

 我が業界には3Fということばがあります。Food、Fashion、Festivalの頭文字で、国際交流イベントの三大要素と言われています。実際、このコンセプトに沿った国際交流イベントはいまもよく見られます。非常に華やかで、非常に楽しく、交流の機会としては大きな役割を果たしています。一方で、国際交流や異文化理解に関心の高い方、または国際交流活動に従事している方ばかりの参加となりがちで、広がりに欠けるという指摘もあります。個人的にはこれを入口に次につながる何かがあればいいなあと思いますが、どうでしょう。言うは易し、西川キヨシ。

 食べ物ブース、今年は全部で18と聞きました。昨年よりちょっと少ないそうですが、東北大学留学生協会(TUFSA)昨年の代表、ネパールのスミットさんに聞いたところ、開催時期にも関係があるとか。「10月から来る留学生も多いので、今年のように10月後半の開催になると、準備が間に合わないんですね。昨年は11月だったからもう少し多かったんです。」なるへっそ、ちょいとイタリア語風。

 震災後、三条中学校を会場としてやってきましたが、来年以降、川内キャンパスでやるとか、勾当台公園でやりたいとか、構想がいろいろあるようです。留学生がこのように社会と様々なかかわりをもって、一つの大きなイベントを成し遂げていくというのはほんとうにすごいことだと思います。また、それができてしまうメンバーです。羨ましいような、悔しいような、ああ自分が学生のときはただただひとりでそっちこっちをうろうろしていて、何ら社会との接点を持たず、時間を浪費したおしていたなあ、と例によって藪蛇の反省。ぼくの頭の中はやぶだらけ。やぶらかだぶら。

 来年は、MIAブースは更なる進化を遂げますので、こうご期待。MIAのほかのスタッフ、加油!


とーます
※油を加えると書いて、中国語では「がんばれ」の意味です。暴発、爆発しないことを祈ります。

※留学時代に作った人民服は、実家ですでに廃棄処分されておりました。あひゃ。大事なものだったら自分で管理せい(両親談)。止む無くいつものアルマーニで(前ブログのネタのリサイクル)。

※以前、札幌のアメリカ総領事館から総領事館のロゴ入りメモパッドを配布用としてたくさんお預かりしていたのですが、今回それが想像をはるかに超えて大好評でした。これから一年かけて、このようなノベルティグッズのご提供を関係機関各位にお願いしていこうと思います。

※会場のトイレがとても混んでいたので、隣の東北大学国際交流会館のどこかにあるというトイレを借りに行こうとうろうろしていたら、日本語講座のバングラデシュ受講生Aさんと会いまして、「それじゃ、どうぞ」とAさん宅のトイレをお借りすることに。うちの娘のことも覚えてました。Aさん、あざす。

※そういえばペレズくんにぼくから出した早口言葉のお題、「美術室技術室手術室 美術準備室技術準備室手術準備室 美術助手技術助手手術助手」。ペレズくん、できるようになったかしら?

国際祭りはつらくないよ

MIAブログの読者諸君、今日は。

昨日は<第29回 東北大学国際祭り>にMIAのブースを出して、外国の方には宮城県の観光とMIAの日本語講座や生活支援の情報を、日本人にはMIAのフレンドシップ・ファミリーの情報を積極的に配ってきました。

ところで「自分」は外国人です。MIAに週に一回勤める国際交流員の「ぺれず」です。

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今回のイベントでは、なんと、あの言わずと知れた日本の代表的な映画シリーズの「男はつらいよ」の寅さんの格好、つまり コスプレをして、通りすがりの方に「寅さんと早口言葉に挑みませんか」と声を掛けていました。そして、ことごとく負かした後に、宮城の観光とMIAの事業を紹介していました。慌ただしい四時間でしたよ。声ががらがら枯れました。

ただ、この経験を通じて、いくら「ふうてんの寅さん」と言っても、叩き売りってエネルギーを消費する仕事なんだと身をもって知りました。あの寅さんが仕事をする時は体力とエネルギーを惜しまない働き者なんだという事が、寅さんの仕事のハードさがこの体験で分かりました。つまり、僕の日本の理解が深まったのです。

あとは昨日つくづく感じたのは、もう若い年齢層の日本人は寅さんを知らないんだなぁということでした。来年はもっとナウい格好が良いですね、トホホ...。


ぺれず

老華僑と新華僑

 今週は日本語講座の開講ウイークで何かと事務作業がありました。週末は東北大学国際祭りに出展?出店?シュッテン(「ころりん」と言ったあなた、お・や・じ)。来週には、「外国人のためのストレスケア教室」の第1弾気仙沼開催が控えており、てんてこ踊り中ですが・・・こういうときに限って天はぼくにネタをくださる、嗚呼嗚呼嗚呼。現実逃避?まあそうとも。

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 我ながらおさとが知れまする、この写真から始めるなんて。でも「外交部特(別)(提)供酒」ってなんともいいじゃないですか。花彫酒という紹興酒の一種類でとても美味でした。

 一昨日、駐新潟中国総領事館主催の「中華人民共和国成立65周年記念中華調理芸術ショーレセプション」に当協会もお招きいただき、ぼくも末席のへげへげに座っておりました。江蘇省ルーツの中国四大料理「淮揚料理」の中華料理マスターたちがフォースとともに来日しまして、華麗なるパフォーマンスとともにフルコースをお振舞いというものでした。中国総領事館が宮城県でこれだけ大きな規模のイベントを開いたということもぼくがMIAに入職して以来7,8年記憶がありませんし、宮城県副知事、仙台副市長、大崎市長、東北経済連合会会長等々宮城県の政財界のトップ、及び在県のいわゆる華僑のリーダーたちがこれだけの規模で一堂に会したということはこれまでなかったことではないかと思うのでありまする。総勢130名ほど。

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 高級な中華料理にはよく胡瓜でできている龍とかそういう野菜を材料とした動植物細工がありますけど、そのマスターたちがフォースの力を発揮した細工が各テーブルに設置されておりました。ぼくのテーブルには大根でできた鶴でした。

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 料理はもちろんどれもおいしくすばらしいものでしたが、そのあとの歓談がいかにも中国でとっても面白かった。ある程度食べて落ち着いたところで、多くの方が円卓を立ち、大立食パーリーと化したのでした。

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 ぼくと同じテーブルに華僑総会の方がいらっしゃいました。華僑総会というのはいわゆる老華僑、戦前、戦中から滞日されそのまま残っていらっしゃる中国ルーツの方々、日本国籍に帰化されていなければ「特別永住者」という在留資格で日本に暮らしている方々の互助組織とでもいえますでしょうか。その宮城県華僑総会の副会長によれば、震災の数年前には1世は全員物故され、現在は2世、3世が受けついているのだそうです。2世、3世は日本で生まれ、日本で育った方々ですので、母語が日本語であり、中国語を話せる人がいないとのこと。副会長さんは「わたしは横浜の中華学校に行かされたので少しできるけど」とお話されていました。ブラジルの日系人も代変わりすることで、母国への思いや民族意識が大きく変わってしまっているのですが、全く同じ構図。やはり人は生まれ育った土地、話すことばにいやがおうにも影響されるものなのでしょう。

 一方で、戦後自らの意志で来日された「新華僑」も多数参列されました。日本で事業を起こされた実業家、大学教授、そして我がMIAとのつながりで広がった「宮城県華僑華人同舟会」のご婦人方。全県からお集まりになり、旧交を温め、新たな同郷との出会いに話を弾ませ、2時間の予定がほぼ3時間半後の散会と相成りました。同舟会のメンバーから聞いておりましたが、宮城県内の老華僑と新華僑、様々な立場の華僑が集まって「華僑連合」を構成するべく、準備委員会を立ち上げたとのことです。統計資料によれば、宮城県に在住する外国人15,000人のうち、約5,500人が中国人、さらにはすでに帰化している華人も多くいらっしゃいます。この一大ネットワークが実現すれば、これはとても大きな力になると思います。総領事館がこのような企画を実施したことが華僑連合に向けて強烈な下支えになったことは間違いなく、今後の行く末がとても楽しみです。

 ぼくは、久しぶりに、実にひさしぶりに中国に舞い戻った心持ちでした。中国語に囲まれて円卓を囲むのはとても楽しいもんです。中国語のフォースの力が足りず、その点、反省しきりで酔いが回らないというのもとってもいいです。

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 同舟会美女軍団に囲まれてジャバザハットみたいになったぼくの写真も一枚だけ。

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右端の御仁は、大崎市長。ぼくと同姓、同郷ですが、縁はないと思います。全国5番目に多い姓ですから。うちの理事長も同姓だし。

 杯を乾すと書いて乾杯みたいな恐怖の中華乾杯がなくて、とても安心して楽しめた宴なり。よきかなよきかな。またあるといいな。


とーます

※老華僑、新華僑のこと。中国語の「老」は必ずしも年寄り、古いという意味だけではなく、そこに尊敬、敬意のニュアンスが含まれますので、だれだれ「さん」と呼ぶときも、普通なら「小王」「小李」と「小」をつけるのですが、より親しみ深い、尊敬の念がこもると「老王」「老李」と「老」を使います。先生のことを「老師」と書きますが、20代でも「老師」です。「若師」ではありませぬ。

※東北大学国際祭り、MIAブースで国際交流員と英語(日本語もおけ)で楽しくお話しませんか。19日(日)、三条中学校へれっつらごー。
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「財産分与」Q&A

先日、仙台弁護士会国際交流プロジェクトチームのご協力を得ての、恒例の法律勉強会がありました。

今回のテーマは「親族法及び法テラス、ADR、調停」でしたが、俄然盛り上がりを見せたのが「財産分与」に話が及んだときでした。

「財産分与」とは、離婚の際に夫婦がそれまで築いた財産を分けることなのですが、一般的な説明のあとに、講師のI先生が「何か質問は?」と投げかけると、待ってましたとばかりに

・「結婚前に貯蓄していたものは財産分与の対象になりますか?」
・「貯金している銀行口座が夫名義の場合、妻はきちんと分与してもらえますか?」
・「外国人の妻が母国に資産を持っていた場合は、分与の対象となりますか?」

などなど、参加者(ほぼ全員が、夫が日本人の結婚移住女性)から大変に具体的な質問が続々出てきたのです。

たぶん、おそらく、きっと、質問者ご自身のケースについて聞いたのだと思います。

もちろん、あくまでも「想定」のお話なのでしょうけれど・・・。

何にせよ、自分のことに引き付けて考えると、より切実に具体性を持ってコトが捉えられるので、こうしたお話を聞く際の、一つの心得のあり方ではありますね。

因みに、I先生のお答えは、

・「対象外」
・「銀行口座の名義は関係なく、分与の対象となる」
・「共同財産とみなされると分与の対象となる」

とのことでした。

ふむふむ。

それで、自分自身はどうなのだろうかと考えてみたのですが、今のところ分与で揉めるほどの財産もないよなぁ、という極めてシンプルな答に辿りつきました。

が、しかし、「財産」ではなく「負債」がある場合はどうなるんだろうか・・・。(あ、これも「想定」のお話ですからね。)

I先生に聞いておけば良かった!

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(OZ)

 

台風の功名

 月極駐車場を「げっきょくちゅうしゃじょう」と読み、北極、南極のように月極(げっきょく)という場所があるのかと思っていたのはさほど遠い昔ではございませぬ。この手の勘違いは売るほどありますけど、「たいふういっか」も台風ファミリーのことではないと知ったのは今世紀に入ってからのこと、恥ずかしながらと恥ずかしげもなく言っておりますけれども。あれって、いつのことを言うのでせう、「過ぎた直後」「過ぎてしばらく」「過ぎて半月先まで」・・・まあ、なんでもいっか。最近おやじが過ぎまする。

 昨晩は、台風情報に神経を尖らせ、飯もいつも以上は喉を通らず(太るから)、本日の日本語講座初級1・2クラスのクラス分けテストを実施するか、休みとするかの対応をしました。結局、昨晩19時の段階で、台風は14日朝9時には三陸沖に抜けているであろう気象庁の予報(気象庁、あなたは正しかった)、それからJR東日本は新幹線在来線のあらかじめの運休措置は取らないというこの2点を寄る辺に、クラス分けテストも予定通り実施することを決めました。実施しないとなったら、受講生各位に電話でご連絡をしなければならなかったのです。

 明けて今朝5時。我が家の犬小屋は床下浸水のありさまでした。我が家は無事でした。犬も人も無事でした。まだ雨は降っていましたが、夜半の激しい雨に比べればだいぶ勢いは衰えたようでした。JRは・・・朝4時50分に宮城県内すべての在来線の運行を9時まで見合わせるとのお達し、これは想定の範疇内。昨晩のJR発表も予告運休とはしないが、「今後の台風の状況によっては列車の遅れや運休が発生する場合があります」とどう転んでもいい発表だったから。

 ぼくは新幹線通勤なのですが、朝から新幹線だけは通常運行しているとの情報を横耳に、それでも始発に乗るタイミングで駅に向かいました。家を出た段階では小雨以上大雨未満小風以上大風未満でしたので、やむなくいつものアルマーニのスーツを脱ぎ捨ててグッチのリュックサックに放り込み、ユニクロのウインドブレーカー上下にティファニーの農業用黒長靴という完璧なイデタチでいざいざ。で、仙台駅に着いてみたら、仙台上空はあろうことか青いとこさえ見えたのよ。全く降ってない、少しも降ってない、風さえあまりない。そんな台風ファミリーのペデストリアンデッキ上を歩く農業スパイクおじさん。恥ずかしいどころか、おいしいと思っているこのおやじっぷりに自己閉口しました。

 ともあれ、MIAスタッフはほぼ無事に出勤を果たし、受講生の到来を待ち受けたのですが、JRがこのような状態だから5人ぐらいかなあと踏み、半分も来たら御の字、御の字と思ってました。

 さて、クラス分けテスト開始30分前。もうすでに数名の受講生が来所。一方で、交通機関の関係で来れないという連絡が数名、予定通りなのかという問い合わせもいくつか。

 定刻。予定では16名がいらっしゃるところ、ぼくの予想を裏切って10名がいらっしゃいました。来られない何名かはJR利用予定者だったり、致し方ないところ。予定通りクラス分けテストを行いましたが、これがMIA最後のクラス分けテストとなりました。

 なぜか。クラス分けテストを以後廃止とすることになったからです。今回のこの台風で日本語講座講師陣、MIAスタッフそれぞれがはたと気づいたのです。そもそもこのクラス分けテストの意義は何だったのかという原点に。MIA日本語講座にいらっしゃる学習者は実に多彩です。テストで測ることのできる習熟度たるやほんのわずかな面であって、テストの結果=日本語力とは全然ならないということにみんな薄々気づいていたのに、いやあ習慣って恐ろしいです。例えば、日本人と結婚されたフィリピン女性Aさん、来日5年、話す、聞くは日常生活レベルであれば問題ないけれど、教科書使って勉強したことはなく全くの生活現場のたたき上げ系で読む書くは正直覚束ず、改めて一から日本語を勉強してみたいと思って受講を決めた。もう一つの例えば、学生時代に日本語を2年間学習し、このたび夫の仕事で来日した中国女性Bさん。学習の成果で文法や単語はよくご存知でテストもそつなくこなすけれど、家庭内言語も中国語のため、日本語の話す、聞くはとても苦手、せっかく日本に来たのだからと思って受講を決めた。こういう方々を一つの物差しで測ることにどだい無理があったのだとみんなで気づいたのでした。

 これからは本人のご希望、これまでの学習歴などをひとりひとりから聞きとって、適宜アドバイスをしつつ、最終的にはご自身に選んでいただくようなとってもアナログな方法でいこうと思っています。途中でクラスを変えたってOK。

 ありがとう台風。そして、昨日の分まで飯が喉を通りそうなのを我慢するようにがんばります。それから、フェラガモの長靴も持って帰らなくちゃ、ティファニー?・・・まあそういうの。ほんとはホーマック。


とーます

※ところで、「御の字」ってなんですかね。《江戸初期の遊里語から出た語。「御」の字を付けて呼ぶべきほどのもの、の意から》1非常に結構なこと。望んだことがかなって十分満足できること。(Yahoo辞書より)

※ところで、「遊里語」ってなんですかね。廓詞(くるわことば)に同じ。(goo辞書より)

※ところで、「廓詞」って・・・こうやって無暗に辞書めくりを始めてしまう、ことば知らず、ことばフェチのとーますでありんす。

東北大学国際祭りに来たれ

 台風がまた来るらしいですが、週明けから日本語講座です。無事開講できればいいんすけど、台風襲来OMG。

 そして、日本語講座の開講でばたばたしているうちに、すぐお次のビッグイベントだす。東北大学国際祭りです。

 今日はその打合せにちょいと外出してきましたよ。

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 写真はイメージです。が、当日もこのスタイルでお送りします、たぶん。


 すてきなアメリカ人国際交流員4名がMIAブースで待っていますよ。来たれ、MIAブース@三条中学校。来たるな、台風。


とーます
※ぼくはなにを着ようかな。週末るんるんで考えようっと。中国留学時にふざけて作った中山服(人民服)を着ようか(どこにいった?実家に残ってるかな?)、ミャンマーを旅したときに穿いた巻きスカート、ロンジーを着用しようか、それとも高校生のときにとあるイベントで「無理矢理着させられた」(はい、ここ重要です、赤線ひいといてえ、テストに出るよお!)ピンクのナース服にしようか、妄想はいっぱいいっぱいの膨張を繰り返しつつ、夜が更けまするんるん。

※これではなんだかわからない告知ですが、東北大学国際祭りはおそらくは東北最大級の外国人が集まるイベントでとっても面白いですので、ぜひお運びくださいませ。そして、MIAブースにもお越しあれ。

祝!!!

日本人のノーベル物理学賞受賞で盛り上がっていますが、MIAにとってはノーベル賞よりも嬉しい「受賞」のニュースが舞い込みました。

MIA日本語講座のスーパーバイザーをされている鈴木英子先生が、福井県主催の「白川静漢字教育賞」の「最優秀賞」を受賞したのです!!

漢字教育の第一人者である白川静の名を冠した同賞は、特徴ある漢字教育を実践している方の功績を称えるために創設されたものです。

MIA日本語講座やボランティアを対象とした講座で講師を務めているほか、指導者向けの参考書や漢字テキストを作成するなど、さまざまな形で外国人を対象とした漢字指導に力を入れてきた鈴木先生。

その熱意と努力、そして成果を私たちMIAは充分に理解しているのですが、このようにきちんとした形で、あの白川静氏の名で認めてもらったということは、私たちにとっても大変に嬉しいことです。

ちょっと図々しいかもしれませんが、一緒にMIAの事業に取り組んできた「仲間」として(って呼ばせてくださいね、鈴木先生)、誇らしく思います。

鈴木先生、本当におめでとうございます!!

最近は全国各地を飛び回って講師を務め、そして、今回はこの大きな賞を受賞してと、どんどん「遠く」に行ってしまうような気がしないでもありませんが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします <(_ _)>

 

白川静漢字教育賞結果詳細(福井県のウェブサイト)
http://www.pref.fukui.jp/doc/syoubun/shirakawa/sirakawahyousyou.html

 

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表彰式のイベントではあのパックン・マックンと競演! (クリックするとPDFファイルが開きます)

 

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「MIA日本語サポーター ビギナー研修会」にて

 

(OZ)

 

JICA宮城デスクからのお知らせです。

毎日朝晩寒いですが、お元気でお過ごしですか?

さて、PARTNER「国際協力人材セミナー in 北海道」を以下のとおり開催します!

ご関心のある方とお誘いあわせの上、ぜひご参加ご検討ください。

北海道は宮城県から少し遠いですが、お知り合いの方に情報を共有していただければ幸いです。

よろしくお願いします。


(以下、転送歓迎です)

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JICAをはじめ、NGO/NPOや開発コンサルティング企業、国連機関、
外務省から講師を招き、実際の仕事内容やキャリアパス、求められる資質や
能力について解説頂きます。座談会も開催予定!ぜひご参加ください。

日時:11月8日(土)9時30分?16時30分
会場:北海道立道民活動センター「かでる2・7」(JR札幌駅徒歩12分)
参加費:無料(要事前申し込み)

◇ 詳しくはこちら
http://partner.jica.go.jp/semi/jinzai/20141108_hokkaido.html

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ジャイ子


 

それぞれのニーズ

 第1期の日本語講座、漢字1クラスの最終日、修了証書をお渡ししに教室に行ったら、ベトナム人の受講生TさんがS先生とお話をしていました。日本語を学ぶ理由は何かといった話でした。

 日本に暮らす外国人には3つの壁があると言います。「言葉の壁」「制度の壁」「ぬりかべ」じゃなくて「心の壁」ですけど、日本に来たばかりの方においては何はともあれ「言葉の壁」が立ちはだかります。

 それはそうなんですけど、お立場によって、置かれた状況によって、あるいはその方の求めるレベルによって、その壁も様々な様相を呈するわけで、極端な話、授業も全部英語論文も英語記述で卒業できる課程の大学の留学生でしたら、必要となるのは日常生活レベルの日本語となりますし、日本人と結婚した外国人主婦でしたら、お姑さんの方言も聞き取れなくてはいけない、などなどと個別具体的な目標や必要性があるものです。

 Tさんの答えはこうでした。

「わたしの夫は建設業です。そこには、これからベトナム人の技能実習生が来るという話です。わたしは早く日本語を覚えて、夫の職場で働いているベトナム人に日本語を教えたいです。」

 ええ話やねえ。技能実習制度については思うところもないわけではないもののそれはそれ。Tさんがお考えになっているところは、いま現場で非常に必要とされていることなので、とても大きな力になりうると思います。そういう方がMIAで学んでいらっしゃる。ううむううむ。

 来週から、そんな日本語講座第2期がスタートですよ。まだまだ受付中です。


とーます

※気仙沼の高齢者福祉施設で働くフィリピン女性たちは、お姑さんとの会話で鍛え上げた方言の聞き取り能力が大いに役立っているようです。ときどき、宮城に生まれ育ったぼくさえ分からないネイティブなことばが完ぺきなイントネーションで再現されていて、呆気にとられます。

ブルーシートの効果

少し前のことになりますが、「市町村日本語教室アドバイザー派遣事業」で、「日本語ティールーム」さんにお邪魔してきました。

同事業は、日本語学習支援に関する知識と経験が豊富な方を「アドバイザー」として派遣し、各教室の支援者のブラッシュアップに役立てていただくというもので、今回はSさんにMIAの講座で主要教材としている教科書の活用法についてお話しいただきました。

「日本語ティールーム」の方々は大変勉強熱心で、こうした研修会を定期的に開いています。

今回も、事前に質問をたくさんいただいたほか、当日も意見や感想が飛び交い、「よりよい学習の場所を提供したい」という皆さんの熱意が伝わってきました。

そんな皆さんの熱意が、当日の様子を収めた写真からも伝わってきます。

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床が青いですね。

これ、足元を涼しくして集中力をより高めようという、学習心理学の理論に基いた工夫・・・ではなくて、和室で机と椅子を使用するための苦肉の策なのです。

もともと教室として使用していた市民センターが改修工事をすることとなったため、一時的に別施設で開講しているのですが、畳の部屋しか使えないため、日本語教室があるたびに、このようにブルーシートを敷いて、机とパイプ椅子を運んでと、快適に学習できるよう毎回設営しているのだそうです。

「驚いたでしょう?」「ご不便をお掛けします」等々お気遣いの言葉を何度となくいただきましたが、いえいえ、全くそんなことはないです。

与えられた環境のなかで、しっかり勉強しようという熱意、学習者に少しでも良い環境を提供しようという思いが感じられて、背筋が伸びる心地でした。

一見すると違和感たっぷりの、ゴワゴワのブルーシートですが、「日本語ティールーム」の皆さんのさまざまな「心意気」を伝えてくれる、気の利いた装置のようでもありました。

(OZ)

 

コロモガエ

 カタカナにすると、雰囲気が大きく変わりますな。コモドオオトカゲに一瞬見えたような気がします・・・因みに、とんかつは肉がどんなに薄くても硬くてもいいので、衣さえ立派であればそれで充分の庶民感覚派のとーますです。

 我が職場は夏場は軽装を励行しており、ネクタイなし勤務です。むかし、おしごとで香港、台湾、中国南方に行っていたときのことですが、「とーます、知ってるか、おれたちはすぐ日本人を見分けられる。どうしてだか分かるか?」と年商100億超の台湾系大企業の社長が言っていたのを思い出します。「日本人はこの暑い中でもスーツ着てるんだよ、ネクタイもしめてて。」社長はポロシャツ、草履のスタイルでそう言いながら笑います。どう見ても大企業の社長には見えず、その辺にいるさんおつです。ぼくもぐれた日本人だったので、「ははは」と笑って、同じくポロシャツの襟をパタパタと胸の内に風を送るようになびかせました。中国に行っていたころ、スーツなんて来たことなかったな、そういえば。だいたいポロシャツとチノパンでした。工場の敷地内を走り回ったり、溶接の火花が飛び散る40度超の工場内で検品してるのがネクタイしめてたら、ほんとに「おい、日本人はどうなってんだ?」と言われていたことでしょう。香港はじゃっかん英国ナイズされていたのでときどきスーツ姿のびずねすめーんを見かけましたが、中国、台湾ではほんとにいないです(別の業界だと違うのかもしれませんけど)。別の台湾系企業の社長がスーツを着ている時があって、誰だかしばらく分からなくて、「おいおいしかとはねえだろう」って小突かれたぐらいです。

 わぁお脱輪。軽装励行からどこまで行くのだ。その励行は10月いっぱいまで続くので、いまもネクタイは夜に鉢巻代わりに使うだけ(ほんとにそれをやるやじおーを僕はライブで見たことがない)なのですが、朝晩寒くなってきて、特にぼくが生息するOーさき市は、Sんだい市より夏の最高気温は3度高く、冬の最低気温は3度低いという誠にひとにやさしい環境なので、いい加減ワイシャツ一枚では寒くなってきたのでした。勿論、そこには寄る年波の影響が地球温暖化以上に急速に進行しているのかと思います。

 で、今朝から世の中のびずねすめーんが着用するようなとれんちふれんちの類いではなく、おさんぽ、山登りのお供になりそうなナイロン製のやっけをひっかけて家を出たのですが、これを着るとどうにもこうにも思い出してしまうのです、そう3.11を。

 3.11、あの日、ぼくは帰宅できずに仙台駅前の東二番丁小学校で一泊しました。あれは、19時ごろだったか、校舎内の準備が整うまで待ってくださいというアナウンスがあって、しばらく校門の前で待っていました。その頃には、地震直後から降り始めた大粒の雪は止んでいたかと思います。大混乱というほどではありませんでしたが、校門前に数百人が待っていました。おそらくは僕と同じようにJRや高速バスで仙台に通勤していた方々でしょう。あの日ほど真っ暗な青葉通を再び見ることはないだろうなあ。

 30分も待たずに、校門が開け放たれ、「順にお入りください」という案内とともに、待機者たちは学校の中へぞろぞろと進んでいきました。校門を入ってすぐのところで毛布を配布していましたが、なんとなく二の足を踏んでいるうちに無くなってしまいました。

 僕が辿り着いたのは、薄くて硬いカーペットが敷かれた多目的ルームみたいなところで、ただべろんと広い部屋に雑魚寝でした。ぼくのすぐ隣には若いOLの一群がいました。配布物も何もなく、もちろん電気もなく、仕方なくごろんと転がって、ウォークマンでNHKテレビの音声を聞き、「若林区荒浜に遺体が200体打ち上がった」とかいう報道に脳内が疑問符連打状態となり、呆然と妄想をふくらませていると、時折「亘理町の〇〇(なまえ)!迎えに来ました!」という家族を探しに来た方の声で現実に引き戻され、そうこうしているうちに少し眠りにつき、気づいたら明るくなっていました。ひとはこんな時でも眠れるもんだなと変に感心したものです。でも、それもあのやっけを着て、被るとネコの耳みたいになる毛糸の帽子をかぶっていたからです。あれがなかったら寒かっただろうな、3月の学校の床で雑魚寝は。

 以上、このやっけを着るたびに思い出す光景でした。



 さてさて、先週のことですが、日本語講座の閉講式のあと、恒例となった日本文化体験の一コマです。すずめ踊りの体験なり。
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夢祭連「粋樂」のみなさま、いつもありがとうございます。

模範演舞のあとは、みんなですずめだんしん。
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受講生みんなコロモガエしての体験だったらさぞ壮観だったでしょうね。現実は、時間も資金の余裕もなく、扇子だけお借りしての体験でした。ということで、強引なオチでございます。



とーます

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