人それぞれに歴史あり

 昨日は、亘理町で開催された9.1宮城県総合防災訓練に参加してきました。

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 県が主催する総合防災訓練ですから、自衛隊、警察、消防などが一堂に会し、会場には、救急車、消防車、はしご車、パトカー、自衛隊の運搬車が走り回り、ヘリコプターが飛び回り、はたらくのりもの好きの方にはたまらん光景だったことでしょう(論点おおずれ)。

 私たちは災害時通訳ボランティアや県の国際交流員とともに「災害ボランティアセンター」設置運営訓練に属して、訓練に参加しました。

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 また、避難所運営訓練に参加されていた「国際交流協会わたり」のみなさんと交流する時間を急遽セッティングして、被災体験などをお伺いしました。

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 防災無線がよく分からなかったと語るカナダ人Gさん。しかし、当時亘理町の防災無線のいくつかは何らかのトラブルで機能しておらず、あちこちからの放送がクロスし、さらにはサイレンや警報音などに飛び交い、日本人でさえ放送の内容を聞き取ることは困難だったと国際交流協会わたりの役員の方はおっしゃいました。Gさんは、「それより、近所の人がいい人たちだった(good neighbor)!」と語り、隣の家の人に「とにかく逃げろ!」と言われ、意味も分からず逃げたけど、それでよかったと言っていました。「防災無線でもやさしい日本語を!」とか「防災無線で多言語放送を!」といった提案が我が業界では一部ありますが、防災無線がどれだけあてになるのか、或いは防災無線よりもっと確実な情報源はないのか、そういった議論も並行して行った方がいいのではないかと思います。個人的には、日本に住んでいる以上、被災するリスクは好むと好まざるとに関わらず確実にあることなので、外国人であっても身を守るための日本語は最低限マスターすべしというのが自助の鉄則ではないかと思っています。命を救ってくれるのは、役所ではなく、まずは自分だという原則をすっ飛ばすと、議論が迷走してしまうきらいがあります。

 次に、亘理町荒浜で被災し、自宅兼事務所を流されたという国際交流協会わたりのメンバーのお話をお聞きしました。荒浜小学校にすぐに避難したので、家族を含めて皆無事だったのですが、家の辺りに津波が押し寄せてくるのを小学校の3階から見ていたとのこと。そして、第一波があらかた引いた頃合を見計らって、自宅付近に戻ったそうです。通常であれば歩いて5分ぐらいの道のりをがれきや泥を掻き分けて1時間もかかったのですが、その道すがら方々から人の声が聞こえたというのです。おそらくは家に取り残されたり、津波に流された方の声だったのでしょう。彼はひとりだけは救うことができたと言います。荒浜小学校に戻ってから、消防の人にそのことを伝えたのですが、大津波警報発令中だから現場には行けないと言われたのだそうです。消防の人の言うこともよく分かるんだけれど、あの時すぐに行っていれば・・・そのお話を聞いているときは、避難所訓練で騒がしい体育館の音が一瞬消えたように感じました。

 そのほか、亘理で被災し、車で自宅の仙台に戻ろうとしたら、4,5時間かかったという中国人女性Mさんのお話をお伺いしました。震災の話になると、3年半という時間が急に縮んで昨日、一昨日のことのような臨場感を以て迫ってきます。ぼくの祖父が80をゆうに過ぎてから尚、昭和10年代の赤紙招集から兵隊生活のことを日付とともに語ったことに重なるものを感じます。人生における一大事は生涯そのような臨場感を帯び続けるものかもしれません。

 そのあとは、放送訓練ということで、県の国際交流員、災害時通訳ボランティア、亘理在住の韓国人(元MIA日本語講座受講生)に英語、中国語、ハングルで会場全体にアナウンスしていただきました。

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 最後、炊き出し訓練で作られたご飯を配るボランティアに県の国際交流員と災害時通訳ボランティアが志願して、訓練終了まで活動していただきました。みなさん、立派!

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※緑のベストを着て誘導しているのが県の国際交流員Pさん。

 帰り道は、災害時通訳ボランティアTさんにたくさんお話を伺いましたが、ここには書けないようなあれやこれやなので割愛。興味深い話をたくさん伺いました。ありがとうございました。


とーます

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このページは、MIAが2014年9月 1日 10:15に書いたブログ記事です。

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