2014年8月アーカイブ

仙台モスクを知っていますか?

 今週はイスラムの方々との接点が多い週になっています。

 某国出身のイスラム女性が出産を控えており、通訳を手配したいという電話が県内のある病院から入りました。多民族ゆえに公用語を複数持つ国というのも少なくないので、こういうときには必ずその方の母語は何なのかを確認することにしています。以前、フィリピンの方の通訳が欲しいというので公用語であるタガログ語の通訳者を派遣したところ、相手はビサヤ語しか話せず、全く通訳にならなかったというミスマッチがありました。少し注意してかからないと、関係各位、そしてご当人に迷惑をかけしてしまいます。

 その出産を控えた女性の母語を通訳できる人は、MIAの現在の通訳者リストの中には存在しませんでした。そうした場合、私たちは関係各所に連絡を入れて、協力者を探します。今回は、東北大学の留学生の中にひとり候補者が現れ、コンタクトをとったその日のうちに事務所に来てくださいました。某国出身の女性留学生は東北大にはその方しかいないということで、貴重な出会いになりました。

 そうこうしているうちに、もうひとり東北大学の教員で私たちが探している言語をお話になれるという方からメールが入りました。全くの偶然ですが、かもねぎ・・・なんてことを言うんだ自分あぷっ!、渡りに哲也、じゃなくて船ということで、その方にもさっそくMIAにお越しいただき、通訳サポーターにご登録いただきました。

 上記のお話しとは全く別で、一ヶ月も前から「仙台モスク」に訪問することが決まっていました。そして、昨日実際行ってきました。住所で言うと仙台市青葉区八幡7丁目で、作並街道からちょっと山手側に入ったところにあります。

P8281456-2.jpg

P8281468-2.jpg
 
 一歩中に足を踏み入れると・・・

P8281459-2.jpg

P8281462-2.jpg

P8281463-2.jpg

「そうですねえ、金曜日の礼拝がいちばん多いんですが、多い時には120人以上来ますかねえ。」

 こちらの施設、仙台イスラム文化センターお世話役の佐藤さんに、八幡の現施設にたどり着くまでの変遷からお話を伺いました。

「最初は青葉通り沿いのマンションの一室だったと聞いています。当時も東北大学の留学生が主な利用者だったのですが、そこが手狭になったので、大学の各キャンパス、川内と土樋と医学部の星陵と農学部の雨宮のそれぞれから地図上にコンパスで印をつけていったら、中間地点が国分町だったということで、一時期は国分町にモスクがあったこともあるそうです。でも、さすがに繁華街にモスクはちょっと・・・ということで、次に引っ越したのが北目町のマンションです。その頃になると、会員がどんどん増えていきまして、北目町のマンションの一室もいっぱいになり、入り切れない人は隣の駐車場にござやブルーシートを敷いて礼拝をしたり、額づくスペースも足りなくて前に座っている人の背中に額づいたりと、まあ大変だったわけです。会員から集まったお金や改めて寄付を募ったりして、2007年にここに新たに建設しました。ここは最大200人ぐらいが収容できます。ですが、駐車場は20台分くらいしかないので、ラマダン明けのパーティなど、多くの人が集まったときは、車を停める場所が頭の痛い問題です。」

「金曜日の昼に多くの信者が集まります。国籍でいうと、中国、マレーシア、インドネシア、バングラデシュ、パキスタン、もちろん中近東諸国、そして北アフリカ諸国です。これだけ多くの国の人がいますから、共通言語は英語です。私はあまり英語ができないので、会議のときなど、込み入った話になると、日本語になっちゃいますね、あっはっは!」

「礼拝のほかに、土曜日にはコーランの読書会がありまして、そこにも数十人が集まります。それから、ムスリムの子息たちに放課後、学習指導なども行っていますから、けっこう忙しいですねえ。」

 と、佐藤さん。訊き難かったのですが、思い切って訊いてしまいました。「なぜイスラム教なのですか?イスラムの方とご結婚されたのですか?」

P8281458-2.jpg

「いいえ、私は中学の時アラビア語に興味を持ったというのが事の始まりです。それから、東北大学の留学生にアラビア語を習ったりするようになりまして、それが高じて今に至ります。だから、イスラム諸国に行ったこともありませんし、ことばもそんなにできるわけでなし。」

 大手企業にお勤めのサラリーマンだったそうです。いろいろな人生があります。こうして8月はイスラムの方々とのあれやこれやで暮れゆくのでした。


とーます


※個人的には、香港とミャンマーでモスクに入ったことがあります。剥き出しの好奇心でモスクを外から眺めていたら、ムスリムの方に「入って見ていきな!」と言われ、誘われるがままでした。とても親切な方々でした。

※大衡村に県内二つ目のモスクができたそうです。今度はそちらにもお伺いしようっと。

※前世紀末に中国は山東省煙台というところに語学留学をしていましたが、冬になると、西の方から回教徒が来て、リヤカーひいて緑色の干し葡萄を売っていました。あれはとても美味しかったな。

※中国はいろいろ行ったことがありますが、新疆ウイグル自治区には未踏です。あの辺りはきな臭い話もありますが、辺境好きの僕としては、いつかはウルムチからカシュガルに抜けて、さらにパキスタンまで山を越えていくルートも行ってみたいなあ。体力も気力もないくせに、やたらと悪路行を選ぶせるふさでぃすと。

9.1宮城県総合防災訓練

 小学校は夏休みが終わって学校が始まりました。やれやれ。我々はお盆が明けて秋の陣スタートという感じですが、あれやこれやとしめきりに追われ、秋以降の事業の仕込みに追われ、追われれば追われるほどブログを書きたくなるのはなぜ?でもこれ、なぜというほどの不思議ではございません。試験前に部屋の掃除がしたくなるが如し、夏休みの最後の最後に工作やら作文やらでてんやわんやの大騒ぎで泣き泣き追い込む日々を送るが如し、この道はいつか来た道ああそうだよ・・・

 1923年9月1日に起こった関東大震災を教訓とするため、日本各地で毎年防災訓練が行われています。宮城県でも毎年県内を巡回して開催していて、今年は8月31日(どんまい9・1じゃない)に亘理町で行います。当協会からも災害時通訳ボランティアのみなさんに参加を呼びかけ、数名が参加する予定です。亘理町在住の外国人の参加もあると聞いています。その方々の被災体験などを聞きながら、今後に活かしていきたいと思っています。


とーます

インターンが来てくれました

このブログをご覧になっている皆さま、こんにちは。
先週の月曜日から、MIAでインターン実習を受けているHです。
先日の図書整理の記事にも写真と名前が出ているので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。
今日は実習の一環ということで、このブログに投稿させていただく運びとなりました。
たった一度だけですが、よろしくお願いいたします。

高校時代から多文化共生について学んでいた私が、大学の教授からこのインターンに参加することを奨められてから、もうそろそろ一か月になります。
実際にインターンに参加し毎日を過ごす中で、ただ机の上で学んできたことからさらに大きく深く入り込んだ、ナマの体験談をお聞きしたり、またその現場を垣間見たりと、高校、大学に居るだけでは絶対触れられなかったようなことに毎日直面し、それまで机の上で学ぶだけだった「多文化共生」というワードが自分の生活と深く結びついていくのを肌で感じることができました。

またこの2週間で、複数の取材や説明会などに参加したり、職員や相談員の方からレクチャーを受けたり、様々な資料を作成したりしましたが、その都度自分の経験不足と知識不足を痛感し、これから残り少なくなった学生生活をどう生きていくか、とても考えさせられました。
そしてその度に、時間を割いて私にアドバイスや、体験談を聞かせてくださった、職員ならびに相談員の皆さまには深く感謝しています。

この貴重な機会に、MIAの存在を詳しく知る事が出来たこと、そしてMIAがどのように地域で活躍しているのかをこの目で見る事が出来たということは、これからの社会で生きていく上で、とても大きな意味を持つことだと私は考えています。
これからの人生をより豊かなものにするために、今後も努力していきたいと強く感じた2週間でした。

インターン期間中、お忙しい中、MIAの皆さまには大変親切に様々なことをご指導していただき、とても感謝しています。
2週間、様々な出来事を受けてすっかり里心のようなものを抱いてしまい、少々どころではなくここを離れるのが名残惜しいのですが、これが今生の別れではないと確信しつつ、大学でも頑張りたいと思います。

今年も多忙な中、私を引き受けて下さり、ありがとうございました。

P8151385_2.JPG

フラッシュバック

「漢字のテキストが欲しいんですが・・・」

 隣の県に住むフィリピン人から漢字のテキストを購入したいというお問い合わせの電話がありました。

 ちょうどその日、タガログ語の相談員Mさんが出勤していましたので、途中から電話を替わって説明してもらいました。

「郵便局に行って、テーガクコガワセを買ってください。それをMIAに郵便で送ってください。MIAの住所をおしえますね・・・」

 まず引っかかるのが定額小為替で、これは日本人だって知らない方もいらっしゃいますね。

「MIAの住所は、せんだいし・・・あおばく・・・つつみどおりあまみやまち・・・つつみ・・・TSUTSUMIDORI・・・てぃえすゆーてぃえすゆーえむあい・・・」

 電話で外国人、特に漢字が分からない外国人に住所をお知らせするのは一苦労です。Mさんが何度も「てぃえすゆーてぃえすゆーえむあい・・・」と呪文よろしく唱えているのを横目に、ぼくはフラッシュバックの渦に溺れ始めていました。


 2011年3月14日ごろに話がさかのぼります。震災3日目、電話回線が徐々に回復するにつれ、MIA事務所の固定電話、みやぎ外国人相談センターの固定電話、みやぎ外国人相談センター震災拡大対応ヴァージョンで追加された各言語の専用携帯電話が鳴り始めました。そして、15,16日ごろにはほぼ電話は鳴りっぱなし、ぼくが担当する中国語の電話は特に途切れることなく、とにかくあのころは朝から晩まで受話器が耳に張り付いてました。

 原発・放射能の問題、帰国の経路、大使館が手配した帰国バス、津波によるパスポートや在留カードの紛失など問い合わせは多岐にわたりましたが、最初期は被災地にいたであろう外国人の安否を確認する電話が特に多かったように思います。記録を見ると、約300人の外国人の安否確認依頼を受けています。勿論、私たちのところには何ら情報がありませんので、安否を確認したい人の名前、住所、電話番号、勤め先などを聞きとって、専用の記録用紙に転記し、宮城県警の方にお渡ししていました。あのころは、毎日県警の方が夕方になるとわざわざMIAに足を運んで、安否確認書類を回収してくださっていたのです。

 日本人は鄧小平を「とうしょうへい」と読み、毛沢東を「もうたくとう」と読みますが、中国人は田中角栄を「てぃえんじょんじぁおろん」と読み、佐藤栄作は「ずおとぅんろんずお」と読みます。漢字を日本人は日本語読みし、中国人は中国語読みするということなのですが、ここに一つの問題が発生します。「なんさんるー」「にゅちゅわん」と中国語読みされた地名が、ぼくの頭の中で日本語読みの地名と結びつかないという問題です。僕の中国語の拙さをここに白状しますが、これはけっこうな難問でした。何度か電話を受けているうちに「なんさんるー」が「南三陸」、「にゅちゅわん」が「女川」だということはだんだん学習していきますが、住所は○○市(町)のあとにも膨大な漢字が続きます。一般に田舎は「字」「大字」まで付くことが多いので、聞き取る文字数も多く、「ええと、その字はどう書くの?」「この字は、あのそれあれだよ!」みたいなやりとりが延々と続き、ひとりの安否確認情報を聞き取るのに10分以上かかるなんてこともあったのです、恥ずかしながら。中国語専用の携帯電話が長いこと通話中だったりすると、英語、ハングルの相談電話にも中国人から電話が入ったりして、あのころ、そういえばMIAのスタッフは全員「ちょっと待ってまた電話してください」と中国語で言えていたような気がするのは幻なりや。

相談センター.jpg

 みやぎ外国人相談センターの電話番号、特に震災対応版の専用携帯電話の番号については、広報が後手後手に回っていて、震災後数日してからようやく掲示用ポスターを作成(停電ですぐには作れなかったという事情もあります)し、それを被災地に行く県庁の職員や県社協の方に託しているという有り様でしたので、震災からわずか一週間足らずで何ゆえにこんなに国内外から問合せの電話が来るのか、最初は分からなかったのですが、何かの折に開いた駐日本中国大使館のホームページに答えがありました。そのホームページには被災各県問合せ先一覧が掲載されていて、宮城県の欄にあった番号はまさしく僕が握っていた携帯電話のそれでした。

大使館HP1.jpg

 「中国大使館か!」「ちがう、宮城県国際交流協会だ!」というやりとりを何度したことか。それはさして大きな問題ではなかったのですが、「なんさんるー」「にゅちゅわん」に苦戦しているうちにあることを思いつき、そのときたまたま別件でやりとりしていた外務省の職員にお願いをしました。

「中国大使館の各県問合せ先一覧、いまは電話番号のみの記載だけれど、そこにメールアドレス、FAX番号の情報を追加してもらえないだろうか。」

 翌日、HPは更新されました、これこのように。さんくす外務省、びば中国大使館。

大使館HP2.jpg

 この日を境にぼくはオペレーションを変えました。

「あの、『なんさんるー』に住む親戚と連絡が取れないんだけれど・・・」
「分かりました。メールかFAXをお使いになりますか。駐日中国大使館のHPに私たちのメールアドレスとFAX番号を載せています。そこにいまから言う情報を書いて送ってください。いいですか、『安否を確認したい人の氏名、日本の住所、電話番号、勤め先、あなたの氏名、電話番号等の連絡先など。』メールの場合、その方の写真などがあれば添付してください。安否が分かりましたら、折り返しご連絡します。」

 10分もかかっていた聞き取りはこれにより1分程度で済むようになり、回転効率が大幅に上がりました。のちほど、メールやFAXで届いた情報はフォーマットに転記して、それを県警に提出。そのようにして、震災から10日ほどがばたばたと進んでいきましたとさ、というおはなし。


とーます
※震災直後の数日は、高速バスは非高速バスでした。バス会社が緊急車両扱いされなかったのか、申請などの準備が間に合わなかったのか、理由は分かりませんが、国道4号線をがたがた言いながら(地震で路面が波打ってました)走ってました。通常の倍以上かかり、大幅に遅刻して出勤してました。

※当時、高速バス内では緊急の電話はかけてもかまわないというアナウンスがありました。中国語の相談専用電話を携帯していたぼくは、朝な夕なのバスのなかで陸続と電話をとり、中国語を怒鳴っていました。

※拡大版みやぎ外国人相談センターは毎日9時から20時までとしていました。ですので、20時を過ぎたら、電話をとらないことにしていましたが、ある朝(3月15、16日ごろだったかと思います)起きて電話を見たら、百件以上の着信がありました。

※震災後しばらくの間、テレビ放送は画面の左右か下部に帯が出て、各種情報が流れていましたが、ある時NHKテレビのそこに当協会の相談センターの番号が流れました。効果は絶大で、「原発が心配だが、だいじょうぶか?」「どちらからおかけですか?」「大阪です。」みたいな電話をいくつもとりました。正直に言いますが、あの時は少しイライラしました。感情を殺して、「私は福島の隣の宮城県にいます。まだ宮城県は避難勧告は出ていません。」そういうのがやっとでした。こっちだってどうしていいか分からなかったんでい。

※「なんさんるー」「にゅちゅわん」問題は、ぼくの中国語力の限界を表す一例でもありますが、土地勘のない方はことのほか面倒であっただろうと思います。隣の県の市町村名でさえ覚束ないですもの、わたくし。

※例えば、「イトウのトウはフジですか、ヒガシですか?」というやりとりがありますが、中国語においてもある漢字を説明するときに引き合いに出される熟語、慣用句、地名といった慣例めいた言い方があります。ぼくはそれをマスターしていないので、ちいと辛かったです。語彙が足りない。

※日本語読み、中国語読み問題は日本国内でも未だ議論があるようですが、上のような特殊例はさておき、とりあえずは日本語読みでいいじゃないかというのがいまのところの個人的な見解です。アメリカでは「毛沢東」を「Mao ZeDong」と表記していて中国語読みに近い。日本語みたいにまるで違う音声ではいつまでたっても「国際的」にはなれない、といった意見もありますが、結局は似て非なるカタカナ読みにしかならないですし、それは英語であっても同じことです。それよりは読みたいように読む方が現実的ではないかと思っています。表記が近くても、「しーざー」「かえさる」のような読みの揺れは発生しうるわけですし。

インタビュー

こんにちは。
8月からMIAで働き始めた「えむ」です。
ブログを書くのは初めてで、ちょっと緊張しますが、
どうぞよろしくお願いします。

今日は、東北大学留学生協会(TUFSA)代表のチャーノンさんが
MIAに来て下さいました。
「倶楽部MIA10月号」に掲載する記事のインタビューのためで、
チャーノンさんと職員2人、インターン生の計4人で1時間ほどお話ししました。

3年前に来日したチャーノンさん。
上手な日本語で、(時々英語も交えて)、国際交流活動の意義や楽しさを
語ってくれました。
まだ将来の目標ははっきりとはしていないようですが、社会的に影響力のある
人物になりたいとのこと。頑張ってほしいです。

最後に、インターン生も英語で質問し、有意義な時間になりました。

インタビュー詳細は、「倶楽部MIA10月号」でご覧ください。

えむ

P8201432.JPG


マスク必須の図書整理

P8181390_2.JPG

先週からMIAに来ているインターンのHさんと、G職員がライブラリーの図書を鋭意整理中です。

沢山の本を出し入れして、リストと突き合わせて確認したり、本の位置を分類通りに並べ直したり、スペースを新たに作って移動したりと、なかなかの根気と体力を要する作業なのです。

しかも、今回は本に積もった埃を一冊ずつ払ってくれています。

きれいになって、所定の位置に戻った図書たちが、皆さんのご利用をお待ちしています。

ライブラリーの利用については、こちらをご覧ください
 >>MIA日本語教材ライブラリー

(OZ)

褌を締め直したお盆明け

MIAは決まった夏休み期間がなく、カレンダー通りの営業となっています。

とはいえ、先週のお盆期間は、やはり全体的にホリデーモードになっていて、盆の中日などは電話もお客さんも少なく、お蔭で午後はイヤホンを耳にしてEXILEの音楽を聞きながらノリノリで仕事を・・・ではなく、インタビューの文字起こし作業に集中することが出来ました。

そしてお盆明けの月曜日。

できれば今日も文字起こしの作業の続きを、と秘かに目論んでいたのですが、実際は

・A国の子どもへのサポーターの紹介依頼
・B国の女性から離婚問題で悩む同国人の知人についての相談
・夫からDVを受けているC国の女性への通訳者紹介依頼
・ボランティア団体を立ち上げたいというD国の人たちからの相談

等々、多国籍の方々からの相談が次々に舞い込み、イヤホンを耳にしている余裕はありませんでした。

世の中の夏休み、終わったようです。

予定していた作業ができなかったのは少々残念ですが、MIAも世の中から忘れられていなかったということで、良しとすべきなのでしょう。
(勿論、MIAのようなところがなくてもいいくらい、平和な世の中であればもっと良いのでしょうが。)

通常モードに戻り、褌を締め直す気分にさせられた月曜日でした。

・・・「褌」じゃなくて「鉢巻きを締め直す」のほうがスマートな言い方かな。

headset.jpg

(OZ)

ぺらぺら

 MIA日本語講座初級2クラスで勉強しているスリランカ人のTさん。盆の入りにふらりと事務所に現れました。僕は、その日ちょうど休んでいたのですが、そのとき対応したスタッフに聞くと、「アルバイトが決まりました!」という喜びの報告だったということで、お店の名前をおしえてもらい、さっそく行ってみました。

 インド人経営のカレー屋さん。僕がお店に入っていくと、フロア担当のTさんはすぐに気づいて、つつつっと近づいてきました。

「せんせー!来てくれてうれしいです。」

 ええと、ぼくはせんせーではないのだよ、日本語を教えているわけではないし、代議士でもないし、お医者でもないし、弁護士でもないし。ただのおっさんです。

 12時半過ぎに伺いましたが、まだたくさんのお客さんがいて、Tさんはフロアと洗い場を行ったり来たりと忙しくしていました。僕はあつあつのナンや黒豆のカレーをはふはふしながら、ご満悦。うまいものさえ食べていればシヤワセな単純中年でございます。

 ちょうどデザートに手がかかる頃に、Tさんは再び僕のテーブルのところに食後のチャイを持ってきてくれました。

「どうでしたか?」
「とてもおいしいです。あまり辛くないですね。やさしい味です。」
「やさしい味、そうですね。ここのカレーは油をあまり使わないで作っています。」
「働くところが見つかってよかったですね。」
「はい、とてもうれしいです。でも、日本語の勉強は続けます。9月からまたMIAに行きます。」
「それがいいですね。もっと上手になったらもっといいですね。」
「私がここに面接に来たとき、インド人の社長が驚いていました。『日本に来て半年しか経っていないのになんで君はそんなに日本語がペラペラなんだ!』」
「Tさん、4月にMIAに来た時より日本語がずっと上手になりましたよ。」
「はい、ありがとうございます。」

 お店の紹介したいけれど、「公益財団法人」のブログでやっていいものかどうか・・・ダメだったらおしえてください。とりあえず載せてまえ!マナズというお店。


とーます

ね!ね!

 本日金曜日は、ポルトガル語相談員Vさんの出勤日。宮城県にポルトガル語の相談?んんん?っていう方もいらっしゃるかもしれませんね。

 約10年前に大和町(「たいわちょう」と読みます)の工業団地に多くのブラジル人が働いていたことがありました。関東以西、特に東海地域などにはよく見られるのですが、これは1989年の入国管理法改正に伴い、中南米の日系人が大挙して来日し、主に自動車、家電製品などの工場で働いていた(いまも働いている人が少なくありません)ことと同列の現象でして、戦前戦後に中南米に移住していった日系人の二世三世の方々が今度は日本に「デカセギ」のために戻ってきています。蛇足ながら申し上げると、いちばん多い「デカセギ」者はブラジル人で最盛期には30万人を越え、次はペルー(5万人前後で推移)です。リーマンショックなどの影響でひところに比べればがくんと人数が減りまして、2013年末現在でブラジル人は日本に19万人余りいらっしゃるということになっています。群馬県の大泉町は総人口に占める日系人比率が約1割を占めていますし、愛知県豊田市の保見団地は、日系人が集住する団地として私たちの業界ではとても有名です。

 話を大和町に戻しますが、大和町は一時期900人ほどの日系ブラジル人が住んでいたことがあり、当協会のポルトガル語の相談員もそれに呼応するように平成16年度から配置されました。大和町は、当協会とも協力体制を取りながら、在住する日系人の各種サポートを行い、他地域で見られたようなトラブルが発生しませんでした。この大和町の取り組みは称賛に値しますし、今後また何かの形で在住外国人が急激に増加した自治体はヒントにすべきところが多々あろうかと思います。しかし、そうした「蜜月」は長くは続かず、その工場の撤退とともに日系人たちも仕事を求めて他地域へと散り散りになり、現在では宮城県全体でもブラジル人は150人ほどになっています。

 いつも通りとても長い前置きになりましたが、こんな経緯があって、MIAには週1回ポルトガル語の相談員が出勤しています。Vさんは、パスポートの更新についてのルールが一部変わったらしいという情報を聞きつけ、さきほど大使館に問い合わせの電話をしていたのですが、そのポルトガル語を聞くともなく聞いていたら、

「・・・・・ね!・・・・・ね!」

 二か国語を話す人の中には、「えーと、I am Japanese.」のようなちゃんぽんを話してしまうことがあるので、Vさんにもこの「ね」についてお尋ねしました。Vさんはとても丁寧にお答えくださいました。

「これはポルトガル語です。英語でいうとIsn't it?にあたる言い方で、それを短くすると『ね!』となるんです。」

 そうでしたか、そうでしたか。とっても面白い。つまるところは、「でしょ!」の意味の日本語「ね」とほぼ同じ用法なわけで。


とーます
※大和町のケースについてかつて当協会でインターンシップをしていたH女史の論文を参考にしました。震災前の宮城県内の外国人の状況がまとまっていますので、ご一読をお勧めします。

いつも元気でいるために

いつも元気でいるために
外国人のためのストレスケア教室

 今年度、自治体国際化協会というところから助成金を頂いて在住外国人向けのメンタルヘルス講座を実施するのですが、そのチラシ上のタイトルです。

 このタイトルを英語、中国語、ハングル、タガログの言語に翻訳し、多言語チラシを作成しています。もうすぐ完成しますので、その際にはまた改めてアップします。

 本日のブログは、このタイトルが中国語ではどうなったかというお話。


擁有一個好心情,健康度過毎一天
為外国居民的緩解心理圧力課堂

※文字化けを回避するために日本語漢字に改めています。

 タイトルですので、翻訳をお願いしたみなさんには、日本語の直訳ではなく、意味を汲み取ったうえで、その言語においていちばん通りのよい形にしてくださいとお願いしました。

 そして、中国語については、僕自身が中国語を生齧っているということもあり、中国語相談員さんも巻き込み、みんなしてあれやこれやと協議して、最終的にこれに落ち着きました。字面でだいたいの意味はお分かりいただけるかと思いますが、七言詩風の語呂がいかにもチャイナな感じが出ているような気がして、とても満足しております。いよっ、ザ自画自賛。

 めりーお盆(日本語直訳:よいお盆をお過ごしください)。


とーます


※ある種の熟語は中国語と日本語で漢字が反対になるという現象があります。「紹介」⇔「介紹」、「期日」⇔「日期」など。なぜこれを思い出したかというと、上記タイトルの一文字目、「抱擁」の「擁」だなと思い出したからで、中国語では「擁抱」と書くのでした。

※明治時代のアグレッシブな翻訳には度肝を抜かれますが、なかでもフランダースの犬のネロを「清」、パトラッシュを「斑(ぶち)」とした翻訳は、群を抜いています。

※清と斑は笑ってしまいますが、異文化を翻訳するということはどういうことなのか、本質的な議論がそこには含まれているとも思います。ロミオとジュリエットは、貫一お宮ではあるやなしや。少なくとも、昨今の映画タイトルの邦訳で、英語をそのままカタカナにしてしまうアレとかコレについては、思考停止感が紛々とします。その点、Frozenをアナと雪の女王とした「あんたはえらい!」

※これが小松政夫の所業だと分かったあなたは昭和のテレビを見た人です。 

先週、今週と、県内の日本語教室の方々にお話を伺いにお邪魔しています。

今年度、MIAとSIRAさんとの協働で発行予定の、東日本大震災の双方の取り組み等についてまとめた記録誌の記事作成のためです。

これまで岩沼、石巻、そして昨日は南三陸の日本語教室の方にお会いしてきました。

主に、震災後のそれぞれの日本語教室の取組について改めてお聞きしています。

・「日本語教室を開いてほしい!」という声に応えて、学習者の自宅を転々としながら日本語を教えていた岩沼のKさん。

・我々の被災外国人への聞き取りに同行してくれたほか、被災した学習者のために来る日も来る日も早朝から市役所の窓口に並んだ石巻のSさん。

・南三陸のKさんは、自宅の流失という大きな被害を受けながら、日本語教室再開のために奮闘し、今は町の被災・復興の状況を中国語で発信するというプロジェクトにも取り組んでいます。

皆さんのお話を聞いていると、日本語教室という「場」や、そこで得た「つながり」が、その地域の外国人や、その地域そのものにとって、どんなに大切な存在なのかということが改めて感じられました。

来週は、また別の教室の方にお話を聞くことになっています。

その後、伺った話を文章にまとめるという、私にとっては些か荷が勝っている作業が待っていますが、皆さんの貴重な体験と取り組みをしっかり伝えることができるよう、心して取り掛かりたいと思います。

(あぁ、夜中に賢いコビトが現れて、代わりにサササっと上手に纏めてくれないかなぁ・・・なーんて(笑))

 

P1180766_2.JPG
チリから南三陸町に送られたモアイ像。
Kさんによると、帽子をかぶっているのは、「オトナ」の印なのだとか。

(OZ)

子どもサポーターの研修会

日曜日は「外国籍の子どもサポーター スキルアップ研修会」がありました。

今年は「外国人の子ども・サポートの会」が企画したものに、MIAも共催団体として協力して実施することとなりました。

東京学芸大学の齋藤ひろみ先生から、午前中は「教科学習と日本語学習の統合」というテーマでの講義がありました。ふつう、「日本語学習」と「教科学習」を分けて考えがちですが、そうではなく「教科の内容を取り込みながら日本語を教える」または「子どもがわかる日本語で教科を教える」というアプローチをとりましょう、という考え方です。

P8031203b.JPG

午後は「税金」をテーマとして、社会科と日本語を「統合」させた指導案を書き、模擬授業をしてみるというワークショップでした。なかなかに歯応えのある課題でしたが、どのグループも協力しあって、きちんと形にしていました。素晴らしいです。

P8031236b.JPG

素晴らしいと思ったことがもう一つ。
「外国人の子どもサポートの会」のメンバーのチームワークの良さです。

会場設営の際、時間的にあまり余裕がなかったので、私はちょっとハラハラしていたのですが、サポートの会の皆さんはあくまでもにこやか且つ和やかに作業をしていて、それでも開始時間にはきっちりと間に合わせました。

そして、代表のTさんは、穏やかな笑みを浮かべつつ、でもキッパリ(!)と
「○○さん、開会のご挨拶お願いします」
「ーーの作業は、△△さん、お願いします」
「ワークの時は会員が各グループについてサポートをお願いします」
と、次々にその場で他のメンバーに役割を分担していくのです。

仕事を急に振られた皆さんも、異を唱えることなく、与えられたことを引き受けていて、これは普段の信頼関係があってのことなんだろうなと、なんだかとても感じ入ってしまいました。

そんな皆さんが運営している研修なので、10時から4時半までの長丁場だったにも関わらず、最後までとても良い雰囲気で進んでいき、参加者のアンケートには、そこを評価するコメントも見られました。

「外国人の子ども・サポートの会」のご協力のお蔭で、中身も「雰囲気」も、とても良い研修を行うことができました。
ありがとうございました。

P8031197b.JPG

(OZ)

 

 

 ついあーですねえ、ちんかちんかのしゃっこいるーびーが・・・っておしごと中にこんなことを言っていてはいかんです。ところで、これ倒語っていうんですね。勉強になりました。

 それはそうと、先週は新潟に出張してまいりまして、日本海側の暑熱に2日ほど身を置いてまいりましたが、冬には2メートル以上の積雪があり、夏には35度以上の酷暑、こりゃ美味しい米ができるわなと妙な納得をしてまいりました。その前の週には私的に山形に行ってまいりましたが、やはり同様の暑さでございまして、これは蕎麦でもラーメンでもシャンプーでも冷やしたくなるよなと妙な納得をしてまいりました。

 それもそれはそれとして、ようやく本日の本題。今年に入って、みやぎ外国人相談センターへの電話、特に中国語の相談が増えているような心持ちがしております。震災直後、朝から晩まで受話器を握りっぱなしの状態が2週間ばかし続きましたが、その峠を越えた後は、むしろ新しく来県する外国人が減ったせいか、電話の問い合わせは明らかに減少しました。ところが、今年度に入り、再び相談の電話が増えていて、特に7月はほぼ毎日のように相談記録を書いたような気がします。僕の「気がする」は全くあてにならないと言う勿れ。

 8月もいまのところ電話をとるペースは落ちていません。このまま暑くて相談が多い夏が続くのか、それとも秋に向かってさらに加速していくのか?

 ほんとうに我が業界はうぉーたーびじねすだなあと思う今日この頃です。

とーます

※「ちんかちんか・・・」オリジナルはなぎら健壱さんのお言葉らしいですけど、いかにもなぎらさんが言いそうなフレーズです。ほんとに言ったかどうかは分かりません。「板垣死すとも自由は死せず」もどうやら板垣さんのお言葉じゃなかったらしいですし。「いかにも」がポイントです。
スネークマンショウでも倒語に若干近い世界がありましたが、あれはまた別の話か。

このアーカイブについて

このページには、2014年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年7月です。

次のアーカイブは2014年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。