気仙沼車中とはずがたり

 今年度もまた気仙沼日帰りの旅に行ってまいりました。小中学校などに外国人講師を派遣し、自国の文化などについて話してもらったり、いっしょに交流したりというプログラム。気仙沼は震災以降、JR線が不通のために当協会がレンタカーを借りて、講師を連れて行っています。僕は震災以来その運転手。バックナンバーでもあれこれ書いてきましたが、とりあえず前回のときのブログのリンクをはっておきます。

 この気仙沼日帰り旅は、だいたいいつも朝8時前後に仙台駅に外国人講師6人が集合し、10人乗りのハイエースに乗りこんで片道約2時間半、旧本吉町まで北上します。いくつかのルートを試しましたが、三陸道経由で行くのがいちばん距離も短く、早いです。昨年ぐらいまでは、奥松島や石巻市中心部を通過するときは、行きも帰りも渋滞し、ひどい時には全然動かないこともありましたが、今回はほぼスムーズに流れるようになりました。また、気仙沼市に入ると唯一の幹線道路である45号線が嵩上げの土砂を運ぶトラックなどでごった返し、遅々として進まないということがよくありました。今回は、その手前の津谷地区までだったのでその渋滞にも巻き込まれず快調な旅でした。仙台到着はいつもおよそ18時から19時。今回は少し早く、17時半ぐらいに着きました。速度規制は遵守しました、はい、とっても遵守しました。

 2時間半、途中1、2度の休憩以外は、ひたすらハンドルを握っていますが、何せ車内にはネタの宝庫の外国人が6人乗っていますので、毎度まいどさまざまなお話を伺います。元々車の運転は嫌いじゃないのに加え、このとはずがたりを拝聴できるので、年に3回ほどあるこの気仙沼行は密かな楽しみでもあります。今回は、ワールドカップ期間中ということで、予選敗退したイタリア人Rさんは若干、否相当不機嫌で、ブラジル人のKさんは終始余裕の表情。

 今回は、助手席に座った韓国人留学生Tくんの話をたくさん聞きました。政治のこと、経済のこと、沈没船事故のことなど、かなり多岐にわたって聞けて、とても面白かったです。日本には「雑巾は絞れるだけ絞る」といった表現がありましたが(今でいうところのブラックなんちゃらでしょうか、いっそのこと雑巾企業といったらいいのでは・・・)、韓国には、「背中にストローを刺して吸いとる」という表現があるのだそうで、その直接的で生々しい表現にハンドルを握る握力が失われかけました(吸血行動に弱いんです)。

 サービスエリアで休憩している時には、ルーマニア人のFさんとちょっとお話ができました。目下、ヨガのインストラクターになるため猛勉強中で、テキストすべてにルビを振り、電子辞書が欠かせない日々を送っているとのことでした。そして、今回の試験にパスしたら、今度は子ども向けと高齢者向けのヨガについても勉強したいと語るFさんにとても熱いものを感じ、羨ましい思いさえしました。

 本吉の学校には、いつもこのプログラムのスポンサーである旧本吉町国際交流協会(現気仙沼市国際交流協会本吉支部)の方がいらっしゃるのですが、今春支部長さんが交代されたということで、新支部長さんにお目にかかり、給食の時間にお話をあれこれ伺いました。本吉町が気仙沼市と合併する際の裏話、気仙沼人の特性など。同じ宮城県といっても気仙沼独特の風土、とっても興味深い話でした。

 午後の津谷中学校では、以前マレーシアのクアラルンプール日本人学校に3年間赴任されていたという校長先生から当時のお話を伺いました。日本人会の濃厚すぎる人間関係に辟易したというお話は、僕自身も以前中国で同様の世界を覗いたことがあるので、さもありなんと首肯しました。ひとりひとりだといい人なのに、集団になると・・・な日本人。これも国民性、民族性ということなのでせうか、やはり。

 仙台に無事帰還。レンタカー会社に車を返し、そこで解散。しかし、この日のとはずがたりは車中だけでは終わっていなかった。「最近元気だった?」とこの日、ほとんどお話しできなかったブラジル人Kさんに話しかけたが最後、「ねえねえ聞いて、とーますさん」と駅の中で延々30分以上立ち話。日本社会のある種の暗部と懸命に格闘してきた顛末をたっぷり拝聴しました。「いやあ、たいへんだったねえ」と間抜けな相槌しか打てませんでしたが、「外国で戦った経験はきっとあなたの肥やしになり、財産になるさ」と、おっさんとーますはKさんには聞こえないようにひとりごちたのでありました。


とーます

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このページは、MIAが2014年6月26日 10:48に書いたブログ記事です。

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