2013年5月アーカイブ

けんだまは身を助く

「じゃあお願いします」

日本語講座の先生に促された僕は、「はい」とけんだまを握り、玉を下に落としていったん静止する。玉に受講生の視線が集まる。一呼吸おいて、ひょいっと玉を持ち上げる。玉がふわっとした弧を描いて、剣先に刺さる。成功。

わあ!

受講生たちが歓声を上げる。

日本文化紹介の一環で、日本の昔のおもちゃをあれこれ持ってきて、受講生に見ていただいている。けんだまもその一つ。受講生もやってみるのだが、持ち方さえ分からない彼らが急にできるものでもなく、「日本人代表」として僕が呼ばれる、というわけ。

因みに、僕はけんだまの名人でも達人でもなんでもない。ただ剣先に玉をひょいとさすことができるだけ。それだけ。今回もかろうじて日本人の体面を保つことができ、よかった。


とーます


※日本語講座の講師のひとりから、「受講生が言ってましたよ。とーますさんは『きれい好き』で『やさしい』ですって」それもこれもけんだまのおかげ・・・うん?

「そうです」の練習だそうです

今日は火曜日。

日本語夜間講座の初級2クラスにお邪魔したところ、伝聞の「----そうです」の勉強中でした。

T先生が練習として学習者に最近のニュースで耳にしたことを聞くと、次々に声が上がります。

  「茨城で、スイカ700個とった(とられた)そうです」
  「ホンダがF1に入るそうです」
  「富士山が世界遺産になるそうです」

おお、皆さんけっこう日本のニュースを見聞きしているんですね。感心感心。
スイカの盗難のことは、私も知りませんでした。

そして最後にはこんなニュースもあるという声が。

「トロントの市長が、クラック・コカインをしたそうです・・・」

おっと、それはちょっと残念な国際ネタです。

自嘲気味にそのニュースについて教えてくれたのは、勿論カナダ出身のDさんでした。

P5283793_2.JPG

(OZ)

 

5月22日(水)に今年度のニューカマー事業第1弾となる「防災について学ぶ会」を開催しました。東日本大震災から2年以上が経ち、今回の参加者(6ヶ国14名)のほとんどが大震災以降に来日した方々だということに気づきました。

 

災害は世界中でさまざまな形で存在すると思いますが、日本・宮城県にこれからも滞在する参加者にとって、やはり地震及び津波に関する「学ぶ会」が防災関連では一番重要かと思います。

 

防災4.jpg 

 

まずは当時の様子をイメージできるように震災直後のMIAの事務所の様子や、参加者の皆さんがよく利用される仙台駅や仙台空港の様子を写真とDVDで見ていただきました。緊急地震速報も聞いていただいたのですが、思った以上に「初めてこの音を聞きます!」という方が多く、私たちが普段「緊急地震速報音」=「危険」「怖い」

と連想できるのは、ある程度の訓練や体験がベースになっているからなのだと再認識しました。

 

昨年同様SONAE仙台防災学習研究所の古橋様に講師としてお越しいただき、普段からの備え、発災直後の行動、避難所での過ごし方などをひとつひとつゲームなどを用いて教えてくださいました。また、古橋様はご自身の海外での体験などを通してお話をしてくださり、参加者にとってはとても分かりやすく、皆とても真剣に聞いている様子でした。

 

防災1.jpg

 

特に近隣への声掛け、町内会との連携、避難所での助け合いなどコミュニティーの一員として行動することの大切さを丁寧に説明してくださり、参加者も普段の生活の中で培う人と人との繋がりの大切さを感じとっていたように思います。これは私たちひとりひとりが海外、国内、県内、市内、町内、住宅内、マンション内、アパート内どこの出身でどのような場所に住んでいたとしても、「今自分がいる場所と周りの人」をもっと大事にしようと心がけるきっかけになるなぁと改めて「防災」について学ぶことの重要性を感じました。

 

 

 

bousai .jpg

 

参加者のアンケートの内容を和訳したものを一つ紹介します:

「3.11当時は今日の勉強のような教育を受けたことがなかったので、外に出て大声を出していました。今日勉強したことを大事にし、よく覚えて頑張って生きていきます。」

 

古橋様、そして各言語の通訳者の皆様(中国語、ハングル、英語、ヒンズー語)ご協力いただき、どうもありがとうございました!

 

<ずんこ★> 

 

 

テレビタイム。お見逃しなく!

TV3.jpeg

明後日の5月25日(土)12:53PMから放送される「宮城国際交流グルメツアー」(仙台放送)をお見逃しなく!個性豊かでキラキラ輝いている海外出身の宮城県民9名の方々が繰り広げる宮城トークは必見です★ Don't miss it! <ずんこ>

TV2.jpeg

やっと完成



kawaraban_has_come.JPG


昨日は多言語かわら版(2013年6月号、Vol.43)が納品されました。

納品されるまでの手順を簡単に言いますと・・・


主題を決め日本語で書く
  ↓
各言語の翻訳者に送る(返信を待つ)
  ↓
翻訳されたファイルをまとめ、間違ってる所がないかチェック
  ↓
レイアウト編集
  ↓
印刷所に依頼
  ↓
サンプル1部を印刷していただき、またチェック
  ↓
「問題ありません。お願いします!」
  ↓
 納品

(か、か、かんたんかな?)

ここまで約1ヶ月かかります。



この後は仕分ける作業などをしますが、こんなに手間がかかるとは思いませんでした。

昨日中に終わらせないといけなかったので、バタバタバタバタ・・・

優しいとーますさんが助けてくれてセーフ。謝謝。





そして今日はかわら版を県庁と各市町村に送るため、宮城県庁を尋ねました。

用事を終えた後、「34の初県庁訪問」ということで、

優しいとーますさんに少し見学案内をしてもらいました。


miyagi.jpg

@18階展望ホールにて。


県庁のベストスポットだそうです。天気もいいし、良かったです。

「MIAの事務所はどこかな」と探してみましたが見えませんでした。


T_T



34


協働教育ネットワーク会議

昨日、県庁で開催された「協働教育ネットワーク会議」に参加してきました。

これは、県内の企業やNPO等、宮城の教育をさまざまな形でサポートする「みやぎ教育応援団」が、サポートのメニューを紹介するブースを出展し、学校や行政の方々との情報交換、ネットワーク作りをする、というものです。

MIAも「応援団」の「団員」として(なかなか勇ましい感じですね)、主に「外国人講師派遣事業」、「外国籍児童生徒支援事業」の紹介をしてきました。

事業紹介のパンフレットを毎年学校宛てに送ってはいたのですが、なかには初めてこれらの事業を知った、という先生もいて、MIAの取り組みを知ってもらう良い機会になりました。

ところで、今回の会議で初めて、県で推進しているという「志(こころざし)教育」という言葉を耳にしました。

県のウェブサイトで調べてみたのですが、要するに「社会の中で自分の果たすべき役割は何かを考え、それを実現するために意欲的に物事に取り組む態度を育てる」ということのようです。

ううむ、自らの子ども時代を振り返ると、「志」低かったかも・・・(苦笑)。

「志」の低いまま大人になった私のような者が関わることに若干の後ろめたさを感じますが、せめて今の子どもたちの「志」が少しでも高くなるよう、MIAも「応援団団員」として、引き続き学校現場のお手伝いをしていきたいと思います。

P1150491_2.JPG

(OZ)


 

MIA外国人支援通訳サポーター

 日本に長く暮らせば外国人とて、日本人と同様に種々の事柄と否が応でも向き合わなければなりません。それは、例えば住民登録に関することだったり、税金に関することだったり、年金のことだったり、病院のことだったり、子どもの教育のことだったり、福祉のことだったり、冠婚葬祭のことだったり、近所づきあいのことだったり・・・私もMIAで仕事をするようになってようやく分かってきたのですが、日本に住んでさえいれば日本人外国人の区別がないこと(果たさなければならない義務、責任、ルール、受けられる公共サービス、保障される権利)はかなり多いです。もちろんその一方で、外国人として日本に暮らす故に必要なこと、在留資格の手続き、自分の国とは違う交通ルールや文化習慣エトセトラについての理解、・・・もたくさんあります。

 いずれにせよ、そうした諸々の事務手続きや関係書類の読解を外国人が単独で行うには相当なレベルの日本語力が求められます。役所から届いた文書を読みこなすのは、日本人でさえ難しいことがままありますから。ましてや何かしらのトラブルが発生したときに一人でそれにあたって解決まで事態を進めていくというのは相当な困難が伴うことは、想像に難くないのではないでしょうか。

 そうしたとき、当協会では公的機関からの依頼に基づいてボランティアの通訳(有償)を派遣しています。その通訳、正式名称は「MIA外国人支援通訳サポーター」と言います。日本人だけでなく、日本に長く住んでいる外国人も多数登録されています。さきほど現在の登録データを改めて確認してみたところ、登録者数は170人余り、登録言語は20言語を超えています。

 およそそうした相談や依頼は、突然やってきます。火急に対応しなければならないことも少なくなく、ときには午前中の電話で当日の午後、通訳サポーターを派遣ということもあります。通訳サポーターのみなさんには急な派遣や困難な派遣にご対応いただいており、本当に感謝しています。

 通訳サポーターはあくまで通訳活動が主であって、その場で自らが判断したりしてはいけないとルール上はなっています。通訳を介すとはいってもやりとりは当事者同士で進めていただくというのが基本です。ところが、制度の相違や価値観のずれでやりとりが全くかみ合わないことがあります。ですから、「あるときには通訳の立場を超えて、そういった差異やギャップを指摘することで、やりとりをうまく促すことも必要だ」と、ある通訳サポーターさんがおっしゃっていました。実際そうだろうと思います。言葉を通訳するとはいっても、言葉は文化、社会、歴史、認識、感覚などに拠って立つものですから、辞書のように日本語の名詞Aは、英語のBという単語というほど簡単ではありません。

 あれこれ書いているうちに過去の記憶がいろいろと蘇ってきました。

 以前、中国で貿易関係の仕事をしていたとき、日本人設計者が中国の製造工場の中国人エンジニアとやりとりをする通訳をよくやっていました。通訳といっても忠実な通訳には遠く及ばず、とても拙いものでしたが、幸いないことにというかなんというか、目の前に具体的な図面があって、製品の現物があってのことなので、通訳を介さずともある程度お互い言いたいことを相手に伝えることができ、相手の言っていることが理解できているようでした。「あいだ」に入っている通訳である私だけが意味が分からずまごまごしていることもよくありました。考えてみれば当たり前です。日本語で聞いたって分からないものを通訳できるはずがありません。まして、図面が読めない私は図面を見ながら話をしている彼らの「あいだ」になど初めからいなかったのです。

 それから、同じくそうした工業製品の通訳活動で色に関するトラブルがよくありました。指示書で指定した色と実際の完成品の色が違うのです。この色を巡って、あるときは夜中まで工場の中を駆け回ったり、実際に出来上がったものから出荷の合否の仕分けを行ったこともありました。そんなときにある日本人のデザイナーが言ったことを今でも覚えています。「赤とredは同じとは限らない。」言語が変わると、色でさえ同じではないのです。工業製品の世界では色は色チップと現物、これがすべてでした。言葉は意味をなさなかったのです。

 それからそれから、私は、以前仕事の関係で住民票こそ日本においたままでしたが、年間の半分以上を中国で暮らしていたことがあります。あるときは、中国国内でマンションの1室を借りていたのですが、出張でしばらくぶりに戻ったら部屋の水が出ないということがありました。どうしたことかと大家さんに問い合わせたところ、「水道料金を払ってないんじゃないか?」と返ってきました。押し問答の末に分かったことは、アパートを借りた当初は大家が光熱費一切を立て替え払いし、家賃と込みで請求してくれていたようなのです(そんなことさえもあやふやだったのです)が、ある時からその仕組みが変わり、「水道料金は自分で払いに行ってください」となっていたようで(大家曰く、「通知文書送りましたよ!」)、その情報をこちらが受け止めていなかったということでした。単純なミスです。じゃあ、今すぐに払いましょうと動き出したのですが、水道料金の払い方が分からず、今度はそのマンションの管理事務所に出向いて、教えを乞いました。信じられないことに、一ヶ月のうち払える期間が数日と決まっていて、そのタイミングに現金で払うしかないことが判明。指定された期日にその場所に行くとカウンターに人が群がっていて、列も何もなく、とにかくその人々を掻き分け、カウンターまで必至こいて「漕ぎつけて」ようやく支払うことができました。それでようやく水が出るようになったわけですが、蛇口をひねるためにこれだけの手間がかかる外国暮らしにかなり嫌気がさしたのも事実です。

 「思い出話」が長くなりすぎました。要するに、外国に暮らすのはたいへんなこともあるということが言いたかったのでした。


とーます

おつりがもどった

 階下の事務所の職員がMIAにいらして、

「あの、これ、6階の自動販売機におつりが残っていたんですけど・・・」

と、じゃらじゃらと370円が差し出されました。聞くと、どうやら外国人と思しき方が自動販売機でジュースか何かを買い、おつりを忘れて行ったのだとのこと。

「男性です。背が高くて、赤いTシャツを着ていたかと思います」

人物特定のための情報を得て、いざ捜索開始。ちょうど日本語講座の休憩時間だったので、教室に入っていって「赤いTシャツの人は?」と訊くと、

「ああ、Aさんじゃない?」

とすぐ判明しました。

 そこにご当人が登場。何も言わずにおつりを差し出すとぽかーんとしてました。それで、

「さっきジュースを買いましたね?」
「はい」
「そのときのお金です」
「うん?・・・はいはい!!!」

 やっとおつりを取り忘れたことに気づいたようです。

「日本さいこー」

とは、Aさんの言。お金には名前が書いてませんから、普通は戻らないのかもしれませんね。



とーます

※タイトルはアルプスの少女ハイジを少しだけ意識しました!?

日本語サポーター

 昨日までのかすみも晴れ、事務所から見える山形県境の山並みもくっきりです。雪もだいぶ溶けているようですね。

 さて、ゴールデンウイークも終わり、MIA日本語講座は通常モードに入りました。震災後、がくんと減っていた受講生も徐々に戻ってきまして、ほぼ震災前と同じ水準になり、教室はとても賑やかです。開講して約1ヶ月ですが、これから受講することも可能ですので、MIAまで直接お問い合わせください。

 また、日本語は勉強したいけれど、例えば仕事や家族の関係で日本語教室に行くのが難しい、あるいは住んでいるところの近くには日本語教室がない、そういった外国人もいらっしゃるかと思います。MIAではそういった外国人の日本語学習希望者にマンツーマンで日本語を教えるボランティア、「MIA日本語サポーター」を紹介しています。

 この「MIA日本語サポーター」、登録条件は宮城県に住んでいる成人というだけで、経験や資格は一切問いません。地域にお住まいの外国人のお手伝いをしながら、草の根レベルの国際交流を楽しんでいただければと思います。

 ご興味のある方は、MIAまでお問い合わせください。


とーます

収録

...が行われました。5月11日(土)の午前中に。

TV1.jpg

....Stay Tuned (チャンネルはそのままで)。

 

ずんこ

相談の内容は・・・

とある日の午後、「みやぎ外国人相談センター」宛てに、A国の方(女性)から
「今からそちらに相談に行きたいのだけど、場所がよくわからない」との電話がありました。

なんとなく緊迫したトーンの声だったのと、これまでの経験から、
(うーん、A国の人か。これはもしかしたら離婚に関する深刻な相談かも)
という推測が働きました。

相談センターに寄せられる相談は、夫婦間のトラブルや離婚に関するものがとても多いのです。
特にA国の方については、最近、夫からのDVのことで継続的に関わっているケースもあります。

こちらの場所をなんとか説明し、待つこと約1時間。事務所にいらしたのは、お二人でした。

(相談者と、その付添いの人だな)
と、これまた状況を把握しようとする私。

一人は心なしかちょっと疲れている様子。

相談室に案内し、どんな悩みがあるのかと、心中は身構えつつ、でも表情はつとめて穏やかに
「どうしましたか?」
と尋ねると、笑顔で
「私たち、日本語を勉強したいんです」
とのこと。

(え?そうなんだ?)

こちらの推測と180度異なる相談事に、ちょっと拍子抜けした感じを受けながらも、
(深刻な相談じゃなくてよかった・・・)
と安堵の溜息が漏れました。

お二人とも、学生として宮城に来たばかりで、日本語がもっと上手になりたいので、勉強するところを探していたのだそうです。

MIAの日本語講座、そして日本語サポーター紹介制度について、資料を基に説明しつつ、
(余計な先入観を持ってはいけない)
という、人に向き合うときの「基本のき」を忘れていたことを大いに反省していたのでした。

ちなみに、お一人がちょっと疲れた表情をしていたのは、彼女は日本に来てから自転車に乗るようになったので、まだ運転が覚束なく、今回MIAに来るのにも一苦労したことが理由だったみたいです。

P5143700.JPG

(OZ)

青年たちの「哲学」

先日、「機関紙 倶楽部MIA」の巻頭インタビューとして、中国出身のS君、韓国出身のT君(二人とも大学生)にお話を聞いてきました。

二人は、三月に開催された外国出身の子ども達による合宿(主催:外国の子ども・サポートの会)の企画運営の中心メンバーとなっていたので、その時の様子を機関紙で紹介することとなったのです。

「進路ガイダンス」にも協力してくれていたので、このブログでも何度か紹介したことがあるのですが、じっくり話を聞くのは初めてのことでした。

1時間ほどの予定でしたが、話は「合宿」のことにとどまらず、二人の「人生哲学」(という表現をしたのはT君です)にまで及び、3時間近くのインタビューとなりました。

彼らの「哲学」の一部を披露すると・・・

T君「今までは何でも完璧を求めて自分を追いつめていたけど、これからは少し『適当』にやりたい。物事は変化するものだから、何でも自分の思うようにはならないし。それに気が付いてから、気持ちが少し楽になったと思う。」

S君「昔はなんでも自分一人でやるのが好きで、一の力より十の力が大きいということは信じていなかった。周囲が無視できないような存在に自分がなれば、リーダーになれるかなって。でも、今はもっと現実的になっていて、そんな能力は自分にはないな、と思う。もっと他人に頭を下げて協力し合わないと・・・」

こちらは記録用のレコーダーを停めて、来日当初に会った頃からの成長ぶりに感心しながら、「そんなこと考えているんだ」とフムフム肯くばかりでした。

「なんだか予定していたインタビューに全然ならなくてスイマセン」と、T君は時折気遣ってくれましたが、いえいえ、いいんですよ。二人の青年の「哲学」の話は、40を超えたおじさんにとっても、とても興味深いものでしたから。

紙面に限りがあるので、残念ながら、二人に聞いた話のほんの一部しかお伝えすることができませんが、インタビューの様子は今月末発行の機関紙に掲載されますので、たくさんの方に読んでいただければと思います。

P4203529 - コピー.JPG

(OZ)

 

このアーカイブについて

このページには、2013年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年4月です。

次のアーカイブは2013年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。